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2024年6月 説教者交換日 案内

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    2024年6月   説教者交換日 案内   (聖餐【 せいさん】 式は約1時間前後の礼拝 ) ◎ 6月30日(日)1 0時半   聖餐式 (せいさんしき )        説教者交換日   礼拝     司祭 司式・説教  柳本博人司祭      礼拝後、茶話会 どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」

               スエーデン人 マルガレータ・マグヌセン     スウェーデン人イラストレーターのマルガレータ・マグヌセンは85歳で出版した終活本が世界的ベストセラーとなり、翌年の86歳には 『スウェーデンの80代はありのまま現実的に老いを暮らす』という本を書きました。 彼女は80歳後半となった時、 「たとえ健康に問題がなくても、年を重ねれば自分のことをするのにも時間がかかるようになります。動きがスローになるからです。食事の支度などいつまでたっても終わりません。『フィーカ』 ― サンドイッチや甘いものを食べながらコーヒーを飲むスウェーデンの習慣 ― の用意をするだけでも延々と時間がかかるのです」 と本で述べています。   「手ぶらで行かないで」   マルガレータ・マグヌセンは 初めて個展を開いた画廊のオーナーであるビルギッタという女性の友人がいて、オーナーのビルギッタの画廊の入り口の左に大理石製の大きなテーブルが置かれていて、そのテーブルのまわりには著名な文化人たちが集い、コーヒーや酒を味わいながら、芸術を語り、政治について議論を闘わせていました。 ビルギッタは誰かが立ち上がり、洗面所や、画廊のミニキッチンにスナックやお酒ーのおかわりを取りに行こうとすると、穏やかにはっきりと、 「手ぶらで行かないで」 と声をかけました。 彼女は、テーブルをきれいにするのをちょっと手伝って、とみんなに頼み、中に入る時についでに何かを持っていけば片づけを手伝えるという考えがあり、彼女の言葉の効き目を知った マルガレータ・マグヌセン は、家でもやってみることしたそうです。 そうすると、あっという間に、家の決まり事の一つになり、片づけの時だけではなく、 「手ぶらで行かない」 というルールは、たとえば、 家を出る時は、ついでにゴミを出し、家に入る時は何かを拾うなどというように 生活の色々な場面で役に立ったそうです。     「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」 この 「手ぶらで行かない」 というルールは様々な日常生活を送る中でも適用でき、 日常生活の中に...

2024年6月 礼拝案内

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  2024年6月   礼拝案内 (聖餐 せいさん 式は約1時間前後、 み言葉の礼拝は約30分前後) ◎ 6月2 日(日)10時半   聖餐式 (せいさんしき)   坪井智司祭 司式・説教 ◎ 6月9日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 ◎ 6月16日(日)1 0時半   聖餐式 (せいさんしき )      平野一郎司祭 司式・説教    礼拝後、講話、会食、 教会委員会 ◎ 6月23日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 ◎ 6月30日(日)1 0時半   聖餐式 (せいさんしき )        説教者交換日       司祭 司式・説教  柳本博人司祭      礼拝後、茶話会 どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

最後に残してくださっている「祈り」と「讃美歌」

   耳が遠く、目も悪くなり   日本基督教団の上林順一郎牧師の 以前にいた大阪の教会に90歳を過ぎた高齢の女性がいました。 彼女は毎週熱心に礼拝に来られる方ですが、ある日の礼拝後、 「先生、最近、耳が遠おなって、説教が聞きとれまへんのや。どないしたらエエでっしゃろ」 と言われ、大阪生まれの上林牧師は、 「そやったら、説教の時は聖書でも読んではったら」 と語ると、彼女は 「ほな、そうします」 と答えました。 半年ほどたったある日、 「先生、最近、目も悪くなって、聖書も読めまへんのや」 と言うと、牧師が 「そりゃつらいなあ、そやったら心の中で讃美歌を歌ってたら」 と語ると、彼女は 「ほな、そうします」 と言いました。 しばらくしてまた 「先生、説教中も讃美歌を歌ってるんですが、同じ歌ばかりなので、 飽 ( あ ) きましたわ」 と言い、牧師が 「なにを歌ってはるの?」 と言うと、彼女は 「昔、日曜学校でいつも歌ってた歌、 “ エスさん、わてを好いたはる ” 、ですわ」 と答えました。 彼女は関西の教会の日曜学校では 「主われを愛す」 を大阪バージョンでよく歌い、この歌詞がいつまでも頭の中に残っていたのです。   彼女は95歳を過ぎ、自宅での生活が困難となって介護施設に入所し、牧師は時々、施設を訪ねましたが、帰り際に枕元でいつも大阪バージョンの以下の讃美歌を歌ったそうです。 “ エス(イェス)さん、わて(わたし)を好いたはる。エスさん 強いさかいに 、わて弱わいけど 怖いことあらへん。わてのエスさん、わてのエスさん、わてのエスさん、わてを好いたはる “ 信仰の最後に残るのは 上林牧師は 「高齢になり、説教の声も聞こえない、聖書も読めない、教会にも行けなくなる。そうなった時、私たちはどのようにして信仰を持ち続けることができるのでしょうか?これは教会の課題です。私は信仰の最後に残るのは祈りと讃美歌だと思っています。子どものころから歌っていた讃美歌、今でも空で歌うことができる讃美歌、最期の日でも心の中で歌える讃美歌、その讃美歌を繰り返し歌うことが信仰の養いになり、最期の日々でも私たちの力となり励ましになるのです」 と語っています。 最後に残してくださっている「祈り」と「讃美歌」   以前の月報でも紹介したヘル...

2024年5月 礼拝案内

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  2024年5月   礼拝案内 (聖餐式は約1時間前後、 み言葉の礼拝は約30分前後) ◎ 5月5 日(日)10時半   聖餐式 (せいさんしき)   坪井智司祭 司式・説教 ◎ 5月12日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 ◎ 5月19日(日)1 0時半   聖餐式 (せいさんしき )      平野一郎司祭 司式・説教    礼拝後、講話、 教会委員会 ◎ 5月26日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

「夕べがあり、朝がある」「あなたたちの老いる日まで 白髪になるまで、背負って行こう」

    できないことが増える   人は年をとると、 「青年時代は、日々が短く年が長い。老年時代は、日々が長く 年が短い」 (ニキータ・パーニン)、また 「 若い時は、一日は短く一年は長い。 年をとると、一年は短く一日は長い」 ( フランシス・ベーコン )と書 かれて いる とおり、一日が長く感じられることがあ ります 。  また 年を取るごとに動作が遅くなったり、「できないこと」が増えて、この ことを作家の ながれおとや 氏は以下のように書いています。 「 年をとると   目も耳も歯も悪くなり   手も足も不自由になり   できないことが増 え   食べられないものが増え   楽しみが減っていく … 」 同じように メソジスト派のジョン・ウェスレー牧師も晩年には 「私は今や年老 いた者だ。頭からつまさきまで 衰 ( おとろ ) えている。私の目もかすみ、私の右の手もひどく ふるえる… 私の動きも弱く、のろい」 と『日記』(1790年1月1日)で記し ています。 さらに病気になれば「できないこと」がますます増え、行動も動作もゆっく りとなって、やることなすことが半日作業になっていき、忍耐しなければな らない日々が増えるのではないでしょうか。 そのことについて、メアリ・ウルスィー・ハウランは『病の 床 ( とこ ) にて』という 詩で次のように記しています。   「私は静かに身を横たえる 朝 私の目が開くとき この身がここにあっても この身 がかしこにあっても 少しも思い悩むことはない 重き荷を背負い 旅路に疲れ果てた 私は むしろ憩いの時を求める 私を愛すると言われる方の胸に 私は顔をうずめたい  健やかだった右の手も 今はかつての日のようには動かない 私はひとりで行かなけ ればならない 今まで歩いたことのない遠い道を 黙って行かなければならない 私の 熱意も 勇敢さも 誇りであった力の強さも すべては過去のもの 私はとうとう来て しまった 何もしたくない無気力なところに 私の半日の仕事は終わった なすべきこ とは もうなし終えた 私はいまささげたい 私の忍耐の心を 私の忍耐の神に」   「夕べがあり、朝がある」   重度の障害を負いながら、神の光を仰ぎつつ生...

2024年4月 礼拝案内

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  2024年4月  礼拝案内 (聖餐式は約1時間前後、 み言葉の礼拝は30分前後) ◎ 4月7 日(日)10時半   聖餐式 (せいさんしき)   坪井智司祭 司式・説教 ◎ 4月14日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 ◎ 4月21日(日)1 0時半   聖餐式 (せいさんしき )      平野一郎司祭 司式・説教    礼拝後、講話、 教会委員会 ◎ 4月28日(日)10時半     み言葉の礼拝  信徒の礼拝 どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。