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2026年8月 礼拝案内

  2026年8月   礼拝案内 (聖餐 せいさん 式は約1時間前後、 み 言葉の礼拝は約30分の礼 拝 ) * 7月以降から礼拝体制が変   わります。 ◎ 8月2 日(日)10時半     み言葉の礼拝 信徒による礼拝 ◎ 8月9 日(日)10時半     み言葉の礼拝 信徒による礼拝 ◎ 8月16 日(日)10時半     聖餐式(せいさんしき)       司式・説教  平野一郎司祭     礼拝後、 会食、 教会委員会 ◎ 8月23 日(日) 10時半     聖餐式(せいさんしき)    司式・説教 藤井尚人司祭      礼拝後、茶話会   ◎ 8月30 日(日)     自主礼拝(自宅礼拝)) どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

「ティアズ・イン・ヘブン」(「天国の涙」)「天国での再会を待ち望む」

   「ティアズ・イン・ヘブン」(「天国の涙」)    イギリスのギタリストのエリック・クラプトンは4歳になる息子を高層住宅の窓から転落事故で失い、悲嘆にくれていました。そして、やり場のない悲しみをぶつけるように「 ティアズ・イン・ヘブン」(「天国の涙」) という曲を作りました。その曲の内容は以下のようになります。 「もし天国で会ったら、お前は私の名を覚えてくれているかい。 もし天国で会ったら、同じままでいてくれているかい。 私は強くなければならない。そして、やりとげなければならない。 天国にいるのではないから。 もし天国で会ったら、お前は私の手を握ってくれるかい。 もし天国で会ったら、私が立ち上がることを助けてくれるかい。 私は昼も夜も私の行く道を見つける。 私は天国におれないということを知っているから。 あるときには、落ち込む。 あるときには、ひざまづく。 あるときには、失望する。 お願い、お願いと訴える。 ドアの向こうには、きっと、やすらぎがある。 そして、私は知っている。天国にはもう涙はいらないことを」 という詩になっています。  この詩は一見、悲しみと失望、嘆きという内容に思えますが、しかし、そうではなく、クラプトンは数年後のテレビのインタビューで、 「ある意味であれは悲しい曲ではありません。むしろ、信仰の曲です。天国にはもう涙がないと言っていますから、再会を夢見る歌だと思うのです」 というように語りました。  ここで彼は 「再会を夢見る歌」 と語っていますが、ここでさらに深く考えてみて再会の前に愛する逝去者はどのような気持ちでおられるでしょうか。  それについてはデービッド・ブラント・バーグという人は 「この世を去った人は、天国であなたを待っている」 と述べています。ここで 「待っている」 というように 「この世を去った方々は楽しみに、待ち遠しい感じのように私たちを待っていてくださっている」 のではないでしょうか。    「天国での再会を待ち望む」    使徒パウロはテサロニケの信徒への手紙一4:13で 「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないためにぜひ次のことを知っておいてほしい」 と述べて、遺...

「条件付きの愛」から「神様からの無条件の愛」へ

「条件付きの愛」   ある女性は両親の私への愛、とりわけ父の愛は、条件付きの愛、つまり、 「お前が、 〇〇だと愛する」といった、条件を提示されたメッセージの入った愛(のようなも の)ということを語っています。 彼女は常に、父から「テストで90点やれば、褒めてやる(愛してやる)」「クラスで一番を取ったら、褒めてやる(愛してやる)」「いい子だったら、褒めてやる(愛してやる)と言われて育ちました。 小学生の頃、彼女はテストで80点を取って、「ほら、よくできたでしょ。褒めて」 と言うつもりで意気 揚々 ようよう と家に帰って、父に自慢げに答案用紙を見せたら、父からこっぴどく叱られ、「なぜ、80点なんだ。なんで100点を取れないんだ!テストが終わって、最低3回は見直さなきゃダメだろ!」とよく叱られていました。 またあるときは小学生の頃、市の作文コンテストに友達と気軽に応募したら、賞を取って、学校で表彰され、表彰状と贈答品を持ち帰り、父に 褒 ( ほ ) めてもらおうと、早々に帰宅しました。   すると父は、一言、「なんで、準優勝なんだ。なぜ優勝できないんだ」と怒られ、そして、入賞した作文を見ると、これがダメ、あれがダメ、とダメ出しまでしてきました。彼女は、ただ単に、頑張ったことを褒めてもらいたかっただけなのに、「よくやったね」と一言言ってもらいたかっただけなのに、結果は叱られて終わりでした。   「完璧を求めていた父親」   彼女が言うには父親は彼女に完璧を求めていて、父はいつも、私に有名になって欲しいと願い、父の自慢であって欲しいと思っていました。 その後、彼女が小学6年生になり、結果、望んでもいない中学受験をすることになり、父親は周りに、 既 ( すで ) に娘が学校に受かった気どりで、自慢ばかりしていましたが、しかし、結果は見事不合格でした。   不合格と分かった日に、彼女は父の部屋に呼び出され、ものすごい剣幕で説教され て、忘れられない出来事となったそうです。父にとって、娘は合格していなければならない存在で、不合格は「父の恥」を意味するものだったのです。   「条件付きの愛で育った結果 」   また、彼女がアメリカに渡って1年目に、アメリ...

2026年7月 礼拝案内

  2026年7月   礼拝案内 (聖餐 せいさん 式は約1時間前後、 み 言葉の礼拝は約30分の礼 拝 ) * 7月から礼拝体制が変わり ま す。 ◎ 7月5 日(日)10時半     み言葉の礼拝 信徒による礼拝 ◎ 7月12 日(日)10時半     み言葉の礼拝 信徒による礼拝 ◎ 7月19 日(日)10時半     聖餐式(せいさんしき)       司式・説教  平野一郎司祭     礼拝後、 会食、 教会委員会 ◎ 7月26 日(日) 10時半     聖餐式(せいさんしき)    司式・説教 藤井尚人司祭      礼拝後、茶話会     どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

2026年6月 礼拝案内

  2026年6月   礼拝案内 (聖餐 せいさん 式は約1時間前後、 み 言葉の礼拝は約30分前 後の礼拝) ◎ 6月7 日(日) 10時半     聖餐式(せいさんしき)    司式・説教  坪井 智司祭      礼拝後、送別会(茶話会)   ◎ 6月14 日(日)10時半     み言葉の礼拝 信徒による礼拝    ◎ 6月21 日(日)10時半     聖餐式(せいさんしき)       司式・説教  平野一郎司祭     礼拝後、 会食、 教会委員会 ◎ 6月28 日(日)10時半      み言葉の礼拝 信徒による礼拝 どなたでもお越しになられます。 皆様のお越しをお待ちしています。

あるレジ打ちの女性 「いつかは報われる」

あるレジ打ちの女性 その女性は、何をしても続かない人でした… 田舎から東京の大学に来て、 サークルに入っても、すぐに嫌になって、次々とサークルを変えていくような人でした…それは、就職してからも同じでした…最初の会社は3ヶ月 上司との衝突が原因でした… 次の会社は半年 自分が思っていた仕事と違う、というのが理由でした… そんなことを繰り返すうちに、 彼女の履歴書には、わずかで辞めてしまった会社の名前がずらっと並ぶようになってしまいました…そうなるとどの会社も正社員としては雇ってくれません 彼女は派遣会社に登録しました しかし、派遣会社でも長続きしません…履歴書には、また、派遣先のリストが次々と追加されていきました 今度の派遣先はスーパーでした 仕事内容は「レジ打ち」今のようにバーコードなんてない時代です 当時のレジは、電卓のように、ひとつひとつキーを打たなければならなかったのです 勤めはじめて1週間 … 仕事に慣れてきた彼女は、だんだん飽きてきてしまったのです「私はこんな単純作業をするために、いるのではない!」 辞表を書いてみたものの、正直なところ、彼女自身も、仕事も長続きせず、我慢のできない自分が嫌いになっていました… どうしようかと思っていた矢先にかかってきた田舎の母親からの電話「帰っておいでよ」 母のやさしい声に、決心がつきました もう、田舎に戻るつもりで部屋の片づけを始めたのです… 片づけをはじめてしばらくすると、昔の日記が出てきました パラパラとめくっているうちに、小学生の時に書いた言葉が、彼女の目に飛び込んできたのです「ピアニストになりたい」 … 彼女は思い出しました ピアノの稽古だけは、辞めずに続けていたのです そして「夢を追いかけていた心」を思い出したのです「あんなに希望に燃えていた自分が今はどうだろうか。情けない。そして、また逃げようとしている … 」 彼女は泣きながら母親に電話をしました「私、もう少しここで頑張る」 辞表を破り、スーパーに出勤した彼女はレジ打ちをしながら、ある考えが浮かびます 「ピアノも練習を重ねるうちに、キーを見なくても打てるようになったんだ。私流にレジ打ちを極めてみよう!」 彼女は数日で、ものすごいスピードでレジ打ちができるようになりました する...

「悪いものをもらっていた」という後の報い

  「不」という漢字、熟語について     漢字の 「不」 がある言葉、熟語を見てみますと、大体、 「否定的」「マイナスなもの」「ネガティブ」 の内容があることがわかります。  たとえば、二字熟語では 「不幸」「不備」「不足」「不作」「不便」「不安」「不吉」「不幸」「不当」「不快」「不況」「不遇」「不慮」「不平」「不満」 、三字熟語では 「不景気」「不条理」「不合理」「不利益」「不安定」「不自由」「不公平」「寝不足」「理不尽」 という内容となっているからです。 上述の漢字、熟語に対して、私たちは人生を送る中で、ほとんどどれか一つを体験していたり、また複合的に経験したり、現在もそれを継続中と言うこともあるかもしれません。     「金持ちとラザロ」のたとえ話   聖書において、上述のように漢字の 「不」 の体験をした人々が多くいて、 「金持ちのラザロ」 (ルカによる福音書16章19~31節)のたとえ話は典型例だと言えるでしょう。 この金持ちと貧乏人ラザロのことを見てみますと、金持ちは 「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」 のでした。  他方ラザロは金持ちの 「門前に横たわり、食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思い、犬にできものをなめ」 られている悲惨な生活を送っていました。 彼は 全身できものだらけで、病気の苦しみがあり、さらに 食べる物もなく、 衰弱 ( すいじゃく ) しきっていて、当時の 不浄 ( ふじょう ) な動物といわれていた野良犬が来て体をなめられるという 屈辱 ( くつじょく ) 的な思いをして、正にこの世の 「不条理」「不合理」「理不尽」 な目に 遭 ( あ ) っていたのでした。 金持ちは 贅沢 ( ぜいたく ) 三昧 ( ざんまい ) に過ごし、他方、ラザロは生きも絶え絶えという状況ですが、しかし、物語の後半でたとえ話は突如、二人が死んだ後の死後の世界に移っています。   贅沢 ( ぜいたく ) 三昧 ( ざんまい ) を送っていた金持ちは裁かれる場所である 陰府 ( よみ ) でさいなまれ、焼かれて 渇 ( かわ ) き苦しみ、もう一方のラザロは、アブラハムのそばで宴会の席に着いて、安らかな状態、平安の中にいること...