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「新型コロナウイルス対策」第10信 教会活動の自粛基準の改定

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  日本聖公会神戸教区 各教会・伝道所の皆さまへ 「新型コロナウイルス対策」第10信 教会活動の自粛基準の改定 2020年11月10日 神戸教区主教 オーガスチン小林尚明 主の平和が皆さまの上にありますようにお祈りいたします。 コロナウイルス感染第二波が全国に広まり、収束の見通しもたたない状況です。その中にあっても「聖餐式に出席し、陪餐したい」という信徒の皆さんの切なる声を聞きます。そこで、10月29日(木)対策室長瀬山会治司祭と松田宣子室員に、神戸大学大学院医学研究科教授(微生物感染症学講座感染治療学分野)岩田健太郎先生と面談していただきました。そして、その面談の報告書を頂きました(別紙送付いたします)。 岩田先生のお話では、「新規感染者『10人』とか『20人』というのは、感染の傾向を見るためには重要な数字であるけれども、聖餐式の陪餐の可否についての基準と考える必要はない。感染防止策を取ったうえでの陪餐は問題ない。それよりも三密を避け、感染防止の徹底が大切」とのことです。 そこで、今回「ウイルス感染症拡大における教会活動の自粛基準(7月31日付)」を改訂いたします。改定の内容は、三密の回避と消毒の徹底による陪餐基準の緩和です。同基準の「牧会上の注意事項」をしっかり確認ください。また、「新型コロナウイルス感染症防止対策のガイドライン(改定)5月31日付」も併せて確認ください。 感染に十分注意しつつ、私たちクリスチャンの命である礼拝を大切にしていただきたいと思います。尚、陪餐に伴い出席者が増えるようでしたら、礼拝の回数を増やすなどの検討をお願いいたします。 信徒及びそのご家族の皆さまに感染者が出た場合、至急教会にお知らせください。そして、牧師は信徒・教役者に感染者が出た場合、教区へ直ちに連絡してください。対応を協議して指示を出します。よろしくお願いします。 今回のコロナウイルス感染のため逝去された方々の魂の平安を祈るとともに、この社会を支える為、献身的に奉仕くださっている全ての方々に、神様からの導きと励まし、祝福をお祈りいたします。

神様だけを見つめ、仰ぎ見ること

マルティン・ルターの苦悩   16世紀の初頭、25歳の若きマルティン・ルターはドイツのヴィッテンベルク修道院に入った時、自分の罪に苦悩し、おびえ、深い挫折に陥っていました。 この時、彼はもはや自分自身の力ではどうにもならないところまで追いこまれていて、もう神様の力に頼るしかなかったのですが、しかし、彼は行いによる救いの達成への執着や自己愛に縛られ、自力で生きて、苦しんでいたのでした。  そこでルターはドイツのヴィッテンベルク大学初代神学部長のシュタウピッツに罪と苦しみを告白することにしました。シュタウピッツはルターと一緒に悩み、絶えず、自分の罪の問題で 呻 ( うめ ) き苦しんでいる様子を見て、 「罪のために自分を苦しめることをせず、 贖 ( あがな ) い主の腕の中に自分自身を投げ入れよ。彼を信頼せよ。彼の生涯の義と彼の死による贖罪に信頼し、 …… 神のみ子に耳を傾けよ、彼はあなたに神の恵みの確証を与えるために、人となられた。まずあなたを愛された彼を愛せよ」 と 助言しました。 ルターはシュタウピッツの「自分の罪だけを見ることをせず、キリストだけを見ること、キリストのみ愛すること」を教えられ、目覚めさせられたのでした。 今までのルターは「自分」がどうであるか、「自分」は罪を犯していないかというように「自分」ばかり見つめて、苦しんでいましたが、しかし、このシュタウピッツの助言によって、「自分」を見ることから、イエス・キリストを仰ぎ見ることに転換し、キリストがどんな恵みを与えてくださったかを聖書を通して考えるようになりました。 その後、ルターはキリストの十字架の恵みを時間をかけながら体感していって、無限に深い魂の平安を得たのでした。 自分だけを見ていたら、悩むしかない   英国有名の説教師スポルジヨンも青年に対して、 「青年よ、汝自身を見ることなく、キリストを見よ」 と語りました。 また『神に愛された女性たち ── 西洋名画と読む聖書』の著書である大嶋裕香さんも 「『これまでは自分を見ていたな。自分を見ていたら、悩むしかない。目をイエス様に向けよう』と思ったのです。その時から自分の心が自由になり、解放され、クリスチャンとしての喜びが湧いてきました」 と告白しています。   「横を見るな、上を見よ」   一般的に人は自