「幸せ」についてー「幸い」「幸福」の源である神様
「幸せ」について
「幸せ」について、イギリスの「ことわざ」で以下のように言われています。
一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。
一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。
一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しろ。
一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。
一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。
また、水前寺清子の「三百六十五歩のマーチ」の歌では「幸せ」について、以下のような歌詞(一部分抜粋)となっています。
1.しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだね 一日一歩 三日で三歩
三歩進んで 二歩さがる……
2.しあわせの 扉はせまい だからしゃがんで 通るのね……
3.しあわせの 隣にいても わからない日も あるんだね……
もちろん、「幸せ」の定義について、「十人十色」「千差万別」で、一人一人が「幸せ」感を持っていると言えるでしょう。
以下に様々な著名人の「幸せ」感を紹介していきたいと思います。
「幸せかどうかを決めるのはその人が持っているものやその人の肩書、今どこに
いるか、今何をしているかなのではなく、それについてその人がどう感じてい
るかなのです」(デール・カーネギー)。
「幸せだから感謝するのではなく 感謝するから幸せなのである」(鍵山秀三郎)。
「一生の間に一人の人間でも幸福にすることが出来れば自分の幸福なのだ」
(川端康成)。
「幸福というものはささやかなもので、そのささやかなものを愛する人が、本当
の幸福をつかむ」(亀井勝一郎)。
「幸せとは欲しいものを得たり、なりたいものになったり、したいことをしたり
するところから来るものではなく、今得ているもの、今していることを、あな
たが好きになるところから生まれる」(作者不詳)。
「私にとって幸せというものは、内的な深い平和を意味しています」(マザー・テレサ)。
小林正観氏は「願いや望みや思いがかなうことではなく、生きていること自体が、何もないことが、何も起きず平穏無事であることが、『幸せ』の本質」。また「毎日がただ淡々と 平凡に過ぎていくことが、 実はしあわせの本質」と語っています。
結論的に小林正観氏は「ただ、何事もなく淡々と淡々と、穏やかに普通の日々が続くことが最高の神からの贈り物」と力説しています。
「幸い」「幸福」の源である神様
聖書では「幸い」について、以下のように記されています。
「いかに幸いなことか 主を避けどころとする人はすべて」(詩編2:13)。
「いかに幸いなことか、御もとに身を寄せる人は」(詩編34:9)。
「万軍の主よ、あなたに依り頼む人はいかに幸いなことでしょう」(詩編84:13)。
「いかに幸いなことか ヤコブの神を助けと頼み 主なるその神を待ち望む人」(詩編146:5)と記されています。
このように聖書の「幸い」「幸福」とは「主を避けどころとする」「神を助けと頼み」「身を寄せ」「依り頼む」「待ち望む」こととしています。
イエス様ご自身、「弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。『あなたがたの見ているものを見る目は幸いだ』」(ルカ10:23)と語られ、ご自身こそ、「幸い」「幸福」そのものであると断言されています。
私たちは他のものに「幸い」「幸福」を求めるのではなく、神様だけに「幸い」「幸福」を求め、「あなたはわたしの主。あなたのほかにわたしの幸いはありません」(詩編16:2)というまでの告白をしてみたいものです。
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