最後に残してくださっている「祈り」と「讃美歌」

   耳が遠く、目も悪くなり

 

日本基督教団の上林順一郎牧師の以前にいた大阪の教会に90歳を過ぎた高齢の女性がいました。

彼女は毎週熱心に礼拝に来られる方ですが、ある日の礼拝後、「先生、最近、耳が遠おなって、説教が聞きとれまへんのや。どないしたらエエでっしゃろ」と言われ、大阪生まれの上林牧師は、「そやったら、説教の時は聖書でも読んではったら」と語ると、彼女は「ほな、そうします」と答えました。

半年ほどたったある日、「先生、最近、目も悪くなって、聖書も読めまへんのや」と言うと、牧師が「そりゃつらいなあ、そやったら心の中で讃美歌を歌ってたら」と語ると、彼女は「ほな、そうします」と言いました。

しばらくしてまた「先生、説教中も讃美歌を歌ってるんですが、同じ歌ばかりなので、()きましたわ」と言い、牧師が「なにを歌ってはるの?」と言うと、彼女は「昔、日曜学校でいつも歌ってた歌、エスさん、わてを好いたはる、ですわ」と答えました。

彼女は関西の教会の日曜学校では「主われを愛す」を大阪バージョンでよく歌い、この歌詞がいつまでも頭の中に残っていたのです。


 彼女は95歳を過ぎ、自宅での生活が困難となって介護施設に入所し、牧師は時々、施設を訪ねましたが、帰り際に枕元でいつも大阪バージョンの以下の讃美歌を歌ったそうです。

エス(イェス)さん、わて(わたし)を好いたはる。エスさん 強いさかいに 、わて弱わいけど 怖いことあらへん。わてのエスさん、わてのエスさん、わてのエスさん、わてを好いたはる

信仰の最後に残るのは

上林牧師は「高齢になり、説教の声も聞こえない、聖書も読めない、教会にも行けなくなる。そうなった時、私たちはどのようにして信仰を持ち続けることができるのでしょうか?これは教会の課題です。私は信仰の最後に残るのは祈りと讃美歌だと思っています。子どものころから歌っていた讃美歌、今でも空で歌うことができる讃美歌、最期の日でも心の中で歌える讃美歌、その讃美歌を繰り返し歌うことが信仰の養いになり、最期の日々でも私たちの力となり励ましになるのです」と語っています。

最後に残してくださっている「祈り」と「讃美歌」

 

以前の月報でも紹介したヘルマン・ホイヴェルス神父作の「最上のわざ」という詩があります。

 

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう--。
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、けんきょに人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること--。
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。まことのふるさとへ行くために--。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事--。
こうして何もできなくなれば、それをけんそんに承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ--。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために--。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と--。

 

上林牧師の「信仰の最後に残るのは祈り」という言葉はヘルマン神父の『最上のわざ』の後半部分の「神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ」の詩と共通していて、私たちは弱って」耳が遠く、目も悪く」なって、何もできなく」なったとしても、神様は「祈り」という最後にいちばんよい仕事を残してくださる」こと、また上林牧師の言われる「讃美歌」(聖歌)を歌うことも「信仰の養いになり、最期の日々でも私たちの力となり励ましになる」ということを覚えたいと思います。

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