「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」

              スエーデン人マルガレータ・マグヌセン

 

 スウェーデン人イラストレーターのマルガレータ・マグヌセンは85歳で出版した終活本が世界的ベストセラーとなり、翌年の86歳には『スウェーデンの80代はありのまま現実的に老いを暮らす』という本を書きました。


彼女は80歳後半となった時、「たとえ健康に問題がなくても、年を重ねれば自分のことをするのにも時間がかかるようになります。動きがスローになるからです。食事の支度などいつまでたっても終わりません。『フィーカ』サンドイッチや甘いものを食べながらコーヒーを飲むスウェーデンの習慣の用意をするだけでも延々と時間がかかるのです」と本で述べています。

 

「手ぶらで行かないで」

 

マルガレータ・マグヌセンは初めて個展を開いた画廊のオーナーであるビルギッタという女性の友人がいて、オーナーのビルギッタの画廊の入り口の左に大理石製の大きなテーブルが置かれていて、そのテーブルのまわりには著名な文化人たちが集い、コーヒーや酒を味わいながら、芸術を語り、政治について議論を闘わせていました。


ビルギッタは誰かが立ち上がり、洗面所や、画廊のミニキッチンにスナックやお酒ーのおかわりを取りに行こうとすると、穏やかにはっきりと、「手ぶらで行かないで」と声をかけました。


彼女は、テーブルをきれいにするのをちょっと手伝って、とみんなに頼み、中に入る時についでに何かを持っていけば片づけを手伝えるという考えがあり、彼女の言葉の効き目を知ったマルガレータ・マグヌセンは、家でもやってみることしたそうです。


そうすると、あっという間に、家の決まり事の一つになり、片づけの時だけではなく、「手ぶらで行かない」というルールは、たとえば、家を出る時は、ついでにゴミを出し、家に入る時は何かを拾うなどというように生活の色々な場面で役に立ったそうです。

 

 「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」


この「手ぶらで行かない」というルールは様々な日常生活を送る中でも適用でき、日常生活の中においてはマザー・テレサは「ドアを閉める音、あなたを必要としている誰か、鳥たちのさえずり、美しい花々、野山の動物たちを通してさえ、神は私たちに語りかけています」と語っています。


片柳弘史神父は上述のマザー・テレサの言葉を解説し、「『ドアを閉める音』を通してさえ、神は私たちに語りかけるとマザーは言います。夜、部屋で静かに読書しているときに、どこかから『バタン』とドアを荒々しく閉める音が聞こえたとき、もしかすると、『うるさいな』と思って腹が立つかもしれません。そう感じるとき、ドアの音はわたしたちにとって、静かな憩いのひとときを破る邪魔な音でしかないでしょう。
 しかし、そのドアの音からわたしたちは別の響きを感じ取ることもできます。もしかすると、くたくたに疲れて帰ってきたお父さんが、うっかり大きな音を立てたのかもしれません。そうだとすれば、そのドアの音は確かなイメージです。誰かが、わたしたちに助けを求めているのです。その音がわたしたちの耳に届いたのは、神がわたしたちを呼んでいるしるしなのです」
と述べています。


さらに片柳神父は「鳥や草花、動物たちを通しても、神は私たちに語りかけていますとマザーは言います。鳥たちが激しい自然の中で懸命に生きている姿。互いにさえずり合い、励まし合いながら、生きている姿は、わたしたちに命の尊さ、すばらしさを教えてくれます」と語っています。


ある資格を取るための勉強をしている大学生が、どうもやる気が起きなくて困っていた時、本屋でマンガ雑誌を開いたら、セリフの中の「やればできる」という言葉が目に飛び込んできました。そのあと電車に乗ったら、中吊りの雑誌の広告欄にまたも「やればできる」という言葉が大きく書いてあるのが目に入りました。


そこからエッセイストの浅見帆帆子さんは「人が話していることや、車の中で聞くラジオや、ふと目に留まった広告などにも、その時の自分のためにあるようなハッとする情報が示されています」と述べています。


このように日常ではありとあらゆるものに神様のメッセージがあり、また必要な情報が与えられていて、得るものや学ぶことが多いことがわかります。


「手ぶらで行かない」という考え方は教会生活にも当てはまり、たとえば私たちが何も得ずして、何事もなかったかのように教会に行き、帰るのではなく、たとえば教会に行く前には何かの情報」得たり、また礼拝の中では「神様の臨在や恵みを感じ」、説教の中では「神様のメッセージを受け」、さらに礼拝後には帰る前や会食の中で、「様々な知恵や情報を得る」ならば、正に「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」ことになり、私たちの信仰生活はより一層の充実感を得ることができるのではないでしょうか。


私たちは日常生活から教会生活、信仰生活に至るまで「手ぶらで行かない」「手ぶらで帰らない」という考え方を実践をしていきたいものです。

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