「一寸(いっすん)先は光」「絶望のとなりにおられる神様」
「一寸先は光」
現在、NHKの朝ドラの「あんぱん」のモデルであるやなせたかしさんは漫画家であり、絵本作家、詩人、演出家、司会者など様々な活動をされ、また『手のひらを太陽に』の作詞も担当して、一時は聖公会の敬虔なクリスチャンとも言われたこともありました。しかし、実際はクリスチャンではなく、聖書から影響を受け、生き方がすばらしかったのでそのように言われたのだと考えられます。
やなせたかしさんは漫画家としては遅い34歳の時にデビューし、この時、他の若い漫画家が次々とヒット作を出して世間で認められていく中で中々ヒット作が出ず、「僕には漫画の才能がないのかもしれない」と自信をなくしかけたことがあったそうです。
絶望の闇の中でもがいている時、大先輩の漫画家杉浦幸雄氏から「やなせ君、君が落ち込む気持ちはわからんでもないが、人生はね、一寸先は光だよ。いいね。途中でやめちゃったら終わりだよ」と言われたそうです。
やなせたかしさんは「人生、一寸先は闇」ではなく、「一寸先は光」という言葉に救われ、以下のような『絶望のとなりに』という詩を作って自分を勇気づけたそうです。
『絶望のとなりに』
絶望のとなりに
そっと腰かけた
絶望は
となりの人にきいた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとはほほえんだ
「わたしの名前は希望です」
同じように太宰治も表現を変えて「人間は、希望にあざむかれるが、絶望という観念にも同様にあざむかれる事がある」と語り、またプロテスタント教会の山下正雄牧師も「絶望の先に希望がある」と述べています。
遅咲きであったやなせたかしさんは「若い頃というよりは、なんと50歳ぐらいまで僕は、失意と絶望の連続でした。ずーっと何十年ものあいだ、『自分は何をやっても中途半端で二流だ』と思い続けていました。漫画家なのに代表作がないことが致命的なコンプレックスとなって、50歳過ぎても、まだスタート地点でうろうろしているような気持ちでした。『もう、売れることはない。そろそろ引き際だ』──そう思ったとき、アンパンマンがヒットし始めたのです。もう60歳を遥かに過ぎていました」と述懐され、正に「絶望のとなりに」は「希望」があるということを体現されたのでした。
「絶望のとなりにおられる神様」
聖書においては「主よ、あなたはわたしの希望」(詩編71:5)、「主よ、あなたはわたしの希望 わたしの神がわたしに答えてくださる」(詩編38:15『日本聖公会祈祷書』「詩編」)、「主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです」(詩編39:7『新改訳』)、「希望の源である神」(ローマ15:13)、「わたしたちが労苦し、奮闘するのは、すべての人、特に信じる人々の救い主である生ける神に希望を置いているからです」(Ⅰテモテ4:10)、「神は、これほど大きな死の危険からわたしたちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、わたしたちは神に希望をかけています」(Ⅱコリント1:10)と記されています。
そこから神様への「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5:5)という結論に至るのです。この個所はフランシスコ会訳では「この希望はわたしたちを裏切ることはありません」、口語訳では「希望は失望に終ることはない」と訳されています。
私たちは「絶望のとなりに」は「希望」、「希望の源」という「名前」を持つ「裏切ることは」ない「生ける神」がおられることを覚えたいものです。
コメント
コメントを投稿