「人生の刺繍(ししゅう)」ー裏側から見ている人生

 「一枚の刺繍(ししゅう) 

 

イギリス東北部のウェスト・スタンレーの炭鉱(たんこう)が大爆発事故を起した直後、すぐ現場に駆けつけたカトリック教会のハンドレー・モール司教は、炭鉱の入り口にたたずむ人々と共に立ちつくしていました。坑内に生き埋めになっている人たちの家族の真ん中に立ち、不安と嘆きをともに感じ続けていました。


救出作業はなかなかはかどらず、苛立(いらだ)ちのうちに時間が過ぎていき、ついには人々の間にあきらめの気持ちが広がり始めました。


 ものを言う力も失せ、黙りこくってしまった人々に向かって、司教は初めて口を開き、深くしみじみとした調子で語り初めました。


「こんな悲惨なことが起こるなんて、本当に信じられません。このよう悲惨な災害が起こることを、神はなぜ許されたのか、理解に苦しみます。でも、私たちは神を信頼しています。今どんなにつらく、受け容れがたいことであっても、長い目で見たとき、すべてのことが結局はうまくいくようになることを知っています。


 私は幼いころ、母から一枚の刺繍(ししゅう)のしおりをもらいました。裏側から見ると、いろいろな色の糸が、めちゃめちゃにもつれ合っています。まるで間違いのようにしか見えないのです。しかし、それをひっくり返して表を見ると、びっくりしてしました。見事な飾り文字が刺繍(ししゅう)されているのです。そこには、『神は愛である』と書かれていました。


 私たちは、今日、目の前で起こった出来事を、すべて裏側から見ているのです。私たちは、いつの日にか、今とは違う観点からそれらを見て、今日起こったことの意味を理解するに違いありません」


「縦(たて)の糸と横の糸」


同じように工藤房美さんも「『ありがとう』100万回の奇跡」という本で「人との出会いはよく、縦(たて)の糸と横の糸で()られた織物(おりもの)に例えられます。…一人一人はそれぞれ、その時々で色を変えて横の糸と交差しながら()り込まれていきます。横の糸は出会うべきすべての人やモノや出来事です。その横糸もまた、その糸の進むべき方向にまっすぐ()り込まれています。一人一人もそれぞれその時々で、糸の色は変わっていきます。明るい色で()られるとき、暗い糸で()られるとき。糸は出会うたびに色を増し、それが絶妙な色合いを生んでいくのです。


 ところが糸である私たちには、その織物(おりもの)の全体像を見ることはできません。その布がどんな風に()られているか、どんな模様でどんな全体像をしているか、どんな完璧に()られているのか、知ることはできません。その織物(おりもの)を見ることができれば、自分がいかに完璧な全体の一部であるか、どれ一つも欠けることなくこの世界に必要なことだとわかるでしょう」と述べています。

 

「人生の刺繍(ししゅう)」の詩

 

作者不詳の「人生の刺繍(ししゅう)」という詩があります。

刺繍(ししゅう)のことをかんがえてごらん。どんなすばらしい作品であっても裏から見ると模様(もよう)がわかりません。裏から見てこの色がどうしてここにひっぱってあるのか、あの色の糸がなんのためにそこにあるのか、見当がつきません。色々な糸が無意味にさえ見えます。でも、表から見ると、いっぺんにわかります。このきれいな花弁(かべん)の模様ができるために あの糸があそこにあったのか。この葉っぱを作るため あの糸が必要だったのか、と驚くのです。


私たちの人生も同じです。今は裏からしか見えません。どうしてこのできごとがあったのか なぜあのつらい思いをしなければならなかったのか。
何のためにあの苦しみ、病気や障害が与えられたのか 多くの場合、今はわかりません。
今は裏しか見えないため、「なぜ?」という疑問に答えられないことがたくさんあります。天の御国へ行った時 はじめて自分の人生の刺繍(ししゅう)を表から見るようになるのです。その時は、神様のすばらしいご計画や目的を知り ただ驚きと喜びのみです。

私たちの人生をひっくり返して見ると、美しく、秩序正しく、意味のある模様の人生になっていることを覚え、希望をもって生きていきたいと思います。

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