救いの神様にまず、祈り、相談する

    クリーニング白洋舎創立者の五十嵐健治氏

 

五十嵐健治氏は29歳でクリーニング店を始め、クリーニング白洋舎を創立

し、事業を通してイエス・キリストの福音を伝えることを96歳の生涯を終

えるまで全うしました。


五十嵐氏が若い時、18歳の時に軍夫となっていて、1895年のロシア・

フランス・ドイツによる三国干渉の際には、彼は憤激(ふんげき)し、ロシアに復讐(ふくしゅう)

るためにロシア諜報(ちょうほう)潜入(せんにゅう)を目的に北海道からシベリアへの渡航(とこう)(くわ)てま

した。


しかし、人に(だま)され、北海道の原始林開拓の監視付の監獄(かんごく)部屋、通称タコ部

屋に送り込まれ、重労動を強いられることになりました。


 ある朝、五十嵐氏はそのタコ部屋から寝巻一枚で脱走し、約70キロの山

道を走り続け脱出し、小樽(おたる)まで来ましたが、人生に絶望して、小樽(おたる)の海で自

殺まで考えましたが、死出の土産にと小樽(おたる)の街を歩いて見たのがきっかけ

で、たどり着いた小樽(おたる)の旅人宿で、一人の行商人クリスチャンである中島佐

一郎氏と出会い、その宿での中島氏との信仰問答を通して、五十嵐氏はキリ

ストを信じました。そして、すぐに彼は小樽(おたる)の町の井戸端(いどばた)で、中島佐一郎氏

によって洗礼を受けクリスチャンになりました。


 彼がクリスチャンになった後に「私は朝起きると先ず神に祈りました。

『今日の一日を導いてください』と祈りました。また何かあると神に『この

ことはなすべきでしょうか、なさざるべきでしょうか』と神様に相談し、祈

るようになった」と告白しています。


五十嵐健治氏は何事にも神様に祈り、問題がある時には人に相談するのでは

なく、まず、神様に相談し、祈ったのでした。

 

「祈りの人」「信仰の人」ジョージ・ミュラー

 

複数の孤児院を設立し、「祈りの人」「信仰の人」と言われた牧師のジョー

ジ・ミュラーは一生の間に9,975人もの孤児を養いましたが、その間に

お金や食料が足りなくなったことが何千回もあったそうです。しかし、本当

に必要に迫られた時、彼はその必要を誰にも告げずにただ祈り、そのように

すると神様はいつも必ず必要なものを与えくださいました。


ある時、1864年5月から1年間にかけて、ミュラーが養う孤児の家には

15の大貯水(ちょすい)(そう)がありましたが、しかし、()照り(でり)のためにどの貯水槽(ちょすいそう)にも水

がなくなってしまいました。300人の子どもたちのために毎日、10キロ

リットルもの水が必要としたのに9つの深い井戸も枯れて、その上、今まで

一度も枯れたことのない泉からも、ほとんど水が出なくなってしまいまし

た。

その時、ジョージ・ミュラーは天候も支配される神様に、「どうか雨を降ら

してください」と職員や子どもたちと一緒に心を合わせて祈りました。しか

し、彼らの必死の祈りとは裏腹に全く雨が降りませんでしたが、しかし、神

様は雨を降らせてくださる代わりに、何人かの人の心を動かして、必要な水

を与えられたのです。


まず、大きな井戸を持っている農家が協力してくれ、その農家の水が足りな

くなると、今度は別の農家の人が自分の畑の中を流れる小川を分けてくれ

て、その人たちは何も頼まなかったのに、進んで協力してくれたのです。


結局は雨が降って貯水槽(ちょすいそう)に水がたまるまで、一日も欠かすことなく、必要な

水が与えられ、神様はこのような方法でミュラーの祈りに答えてくださった

のでした。


このようにジョージ・ミュラーは困難な時、危機の時は自分の力に頼らず、

神様に頼って、問題を解決しようとしたのです。

 

救いの神様にまず、祈り、相談する

 

聖書においてはまず、君候(くんこう)に依り頼んではならない。人間には救う力がな

い」(詩編146:3)と言われています。そこから「わたしを呼ぶがよ

い。苦難の日、わたしはお前を救おう」(詩編50:15)、「このゆえ

に、すべて神を敬う者はあなたに祈る。大水の押し寄せる悩みの時にもその

身に及ぶことはない。あなたはわたしの隠れ場であって、わたしを守って悩

まぬれさせ、救をもってわたしを囲まれる」(詩編32:6-7 口語

訳)と記されていますので、神様にまず、祈り、相談したいものです。

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