「そのままで、ありのままに」「あるがままわれを」
シャーロット・エリオット
1789年3月18日に聖歌の作詞者シャーロット・エリオットはイングランドのロンドン郊外のクラファムにて英国国教会司祭の父のもとに生まれました。
彼女は子どもの頃から体が弱く、あまり人前に出ずに生活していましたが、若い時、彼女は肖像画家やユーモラスな作詞家として人気を得ていました。
その後、彼女は30歳を過ぎた頃から健康が衰えるとともに、精神的にひどく落ち込むようになりましたが、しかし、有名なスイスの伝道者のシーザー・マラン牧師との出会いにより、人生の転機が訪れました。
1822年、彼女が33歳の時、マラン牧師がイングランドを訪れた時、エリオットはマラン牧師に「どうしたらキリスト・キリスト様のもとに行けるのか教えてください」と訊ねると、マラン牧師から「そのままで、ありのままの自分で、神のもとに行けばいいのです」と助言され、その言葉に彼女が救われ、喜びが与えられました。
しかし、エリオットはすぐに劇的に変わったわけではなく、長期間の時を経て、マラン牧師の助言から14年後の1836年になって回心したのでした。彼女は衰えていく体、弱さや病気の失意と闘って『自分は役に立たない存在だ』という無力感にさいなまれ、悲しみの中にあった時、神様はそのような自分を「そのままで、ありのままに」受け入れてくださっているのだと気づき、その思いを「あるがままわれを」(「Just as ,I am,without one
plea」)の詩で表現しました。
『日本聖公会聖歌集 聖歌445番』
「あるがまま」は、原語の英語では「just as I am」で、『讃美歌』(1954)「讃美歌271番」や『日本聖公会聖歌集』(2006)「聖歌445番」では「いさおなきわれを」と訳されていますが、正確には「そのままの、あるがまま」の「あるがままのわれを」と訳される言葉です。
1 いさおなき(原語 あるがままわれを) われを 血(ち)をもて贖(あがな)い
イエス招(まね)きたもう われ みもとにゆく
2 罪(つみ) 咎(とが)の汚(けが)れ 嘆(なげ)くすべもなく
イエス清(きよ)めたもう われ みもとにゆく
3 疑(うたが)いの波(なみ)も 恐(おそ)れの嵐(あらし)も
イエス 静(しず)めたもう われ みもとにゆく
4 あまたの病(やまい)に 悩(なや)まさるる身(み)を
イエス癒(いや)したもう われ みもとにゆく
5 頼(たよ)りゆく者(もの)に 救(すく)いと命(いのち)を
イエス誓(ちか)いたもう われ みもとにゆく
6 いさおなき われを(原語 あるがままわれを) かくまで 憐(あわれ)み
イエス愛(あい)したもう われ みもとにゆく
「そのままで、ありのままに」「あるがままわれを」
シャーロット・エリオットは生涯、その健康は回復することなく、健康状態が非常に悪化しては忍耐するということの繰り返しだったようです。
それでも彼女は自分の病気について、ある時「神が、神のみが、それが何であるかをご存じです。毎日毎時、打ち負かされそうになる弱さと無気力と消耗の身体症状と戦い、その身体症状が私に欲させる、怠惰や憂うつや情緒的不安定といった気ままな生活に身をゆだねず、むしろ、『人もし我に従い来たらんと思わば、己を捨て、日々、己が十字架を負いて、我に従え』という私のモットーに従って、毎朝起き上がることの何たるかを」と述べています。
また、ある時は「神はご覧になり、神は導き、神は私を守ってくださる。神の恵みが私を取り囲み、神の御声は、絶えず私に、私が今なす神への奉仕において、幸福で、聖くあれと命じられる」と告白しています。
同じように主イエス様は私たちに対しても「そのままで、あるがまま」「あるがままのわれを」受け入れてくださっていると言えるのではないでしょうか。
私たちは「必要以上に立派に、大きく見せるのでもない、必要以上に自分を卑下し、小さく見せるのでもない、あるがままの私。弱さも、痛みも、悲しみも、これまで自分がしてしまった失敗や過ちもすべて含んだ、そのままの私を、神さまは受け入れてくださっている」(鈴木道也牧師)ことを覚えたい思います。
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