神様に「恵み」「助け」を頂いて、「感謝」を実践していく
「感謝をすると奇跡が起こる」
1550年頃、イギリスのメアリー女王の時代にプロテスタント教会にキルビンという牧師がいました。
当時はプロテスタント教派が伝道すると迫害され、無残に殺される時代で、彼も福音を伝えたために逮捕されることになりました。
彼は連行されながら、感謝の祈りをささげていると、「すぐに殺されるというのに何を感謝するというのだと」と言われ、キルビン牧師は「イエス様のために迫害を受けるなら、天国で大きな報いを受けるからです」と答えました。
しばらく行ったところで、キルビン牧師はうっかりして、石につまずき、転んでひどくけがをしたのですが、その時にも「この程度で済んで感謝します」と祈りました。
キリスト教のプロテスタント教会を迫害していたメアリー女王が亡くなり、投獄されていた人たちが皆、解放されて、完治前のキルビン牧師も晴れて釈放されることになりました。
キルビン牧師は釈放された時、「あの時、捕らえられて死んでも、天国では殉教者として大きな報いを受けるだろうと感謝の祈りをささげました。ところが神様は、私が転んでけがをし、病院に入るようにされました。もし私がけがをせずにロンドンに行ったなら、すぐに死刑になっていたことでしょう。神様は、感謝をすると奇跡を起こしてくださる方なのです」と感謝の祈りをささげました。
「感謝をすると奇跡が起こる」(2)
ナチス・ドイツに捕らえられ、強制収容所に入れられ、奇跡的に生還した伝道者コーリー・テンブームはオーストラリアで福音を宣べ伝えた後、シドニー空港から飛行機に乗り、離陸し、2時間たった時のことです。
彼女は自分が持って行かなければならない非常に大切な重要書類が入っていた鞄を空港ロビーに置き忘れてしまい、彼女はあわててスチュワーデスに事情を話しましたが、「戻ることは不可能です」という返事がありました。
そこで彼女は神様にすがると、「すべてのことについて感謝しなさい」という神様のみ言葉が与えられ、彼女は「神様、私が本来、持って行かなければならない鞄を空港ロビーに置き忘れたことを感謝します」「今2時間飛びました。感謝します。戻るのは不可能ですと言われたことを感謝します」と感謝をささげました。
すると、しばらくして「乗客の皆さん。まことに申し訳ございません。今飛行機の機体に異常が生じました。そのため急遽(きゅうきょ)シドニー空港に引き返します」という機内放送があり、彼女は顔を輝やかせ、喜びに満たされて「神様、感謝いたします」と祈りました。
「どんなことにも感謝しなさい」
もう一つ、メアリー女王の時代にプロテスタント教会のジョン・ブラッドフォード牧師はメアリー女王の前で、「もし、女王が私を自由にするのが意にそうならば、私は女王に感謝します。もし私を投獄するなら、女王に感謝します。私を火刑に処するなら、私は女王に感謝します」と語りました。
ブラッドフォードがこのように言った背景には聖書の「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケの信徒への手紙 5章18節『新共同訳』・『聖書協会共同訳』)というみ言葉が根拠となっています(『新改訳』は「すべての事について、感謝しなさい」と訳されています)。彼は「どんなことにも」「すべての事」、「ありとあらゆる時も」、たとえ「投獄」や「火刑に処」されようとも、「感謝」をしようしたのです。
神様からの「恵み」「助け」を頂いて
うれしい時や幸せな時は「感謝」しやすいですが、災いや不幸などはとても「感謝」できるものではありません。しかし、上述の「キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」の「キリスト・イエスにおいて」は「キリスト・イエスの恵みによって」、即(すなわ)ち、「神の助けによって」という意味がありますので、私たちは神様に「恵み」「助け」を頂いて、「感謝」を実践していきたいものです。
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