コロナ禍(か)の中で「祈りが深く」なる恩恵(おんけい)、恩寵(おんちょう)を得(え)る

 「神様、助けてください」と叫ぶ状況

 

 鈴木秀子シスターの知り合いに「自分は宗教など一切信じません」という青年がいて、ある時、彼は車にはね飛ばされそうになりましたが、ギリギリのところで助かったそうです。その時、咄嗟(とっさ)「神様、助けてください」と大きな声で叫んだと告白しています。


また中国に頑固(がんこ)な無神論者がいて、「神などというものはいない」「神の存在を否定することが、自分の人生の使命だ」とふれ回っていました。


しかし、ある時、彼は事件を起こして、刑務所に入れられ、そこでひどい目にあわされて、「神様、助けてください」と叫んだそうです。


このようなことから「人というのは、自分の命ギリギリ、絶対絶命の苦境に陥ったとき、人智を超えた大いなる憧憬(どうけい)の念を(つの)らせ」(鈴木秀子シスター)、また「深い悲しみ、嘆きの願いこそは、人が最も神を必要とし、最も切実に神に祈る時」(石田学牧師)と言えるのではないでしょうか。

 

辛(つら)い体験を通して「祈りが深く」なった

 

日本ハンセン病学会元会長で、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS会長でもあり、淀川キリスト教病院にも勤務された畑野研太郎氏は1985年~1994年にかけて、 JOCSよりバングラデシュ・チャンドラゴナ病院に派遣(はけん)されました。


彼はバングラディシュの病院でハンセン病治療にあたりましたが、そのバングラディシュの体験は過酷(かこく)そのものでした。バングラディシュでの言葉の問題、文化の問題、日々、忙しい仕事の問題、十分に経験を積んでいない医師としての不全感があり、辛(つら)い時期を送ることになったからです。


しかし、畑野氏が本当に孤独で、誰にも相談できない状況になった時、唯一、相談できた相手は神様だけでした。畑野氏はその辛い体験を通して、神様への「祈りが深く」なったこと、「祈る以外に道はありません」「今まであまり祈りの重要性を心の底から思ったことはなかったが、今祈りの重要性を覚えさせられています」と述べ、最終的に「しっかりと祈っているとき上からの平安がきます」とニュースレターで書いています。

 

汗も涙も出る切なる祈り

 

三浦綾子さんの『細川ガラシャ夫人』の本に、本名が「玉子」という「細川ガラシャ」と彼女に仕えているクリスチャン「清原マリヤ佳代」との会話があります。「本能寺の変」で「玉子」が苦境に立たされている時、「いつも佳代殿は祈っていて下さる。「はい、佳代は真心からお祈り致しまする。汗の出るほどに」「汗の出るほどに?」「はい、御方さま、この祈りを何としても、神におききとどけていただかねばと、切に切に思いまするとき。おのずと、汗も涙も出るものでございます」「まあ、汗も涙も出るほどに?それほどに真実こめて……「はい、人様に少しむずかしいことをおたのみするさえ、わたくしどもは必死でござります。まして、聖なる御神におすがりするには、心を清めて、切に切においのりいたさねばなりませぬ」という会話が交(か)わされています。

 

「熱心な祈りが神にささげられていた」

 

新約聖書の使徒言行録12:4~5では「ヘロデはペトロを捕(と)らえて牢(ろう)に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視(かんし)させた。過越祭(すぎこしさい)の後で民衆の前に引き出すつもりであった。こうして、ペトロは牢(ろう)に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていたと記されています。

指導的立場であった使徒ペテロが捕らえられ、彼の命の危険が迫って、教会の指導者を失いそうになる危機的な状況に陥(おちい)った時、教会では熱心な祈りが神にささげられていた」のでした。他の訳では「教会では、そのあいだ中、『ペテロをお守りください』と熱心な祈りを神にささげていました」となっています。

 

「祈りが深く」なる恩恵(おんけい)、恩寵(おんちょう)

 

コロナ禍の中で私たちは何もできない無力感、苦境、窮地、危機的状況を体験しましたが、しかし、その時に私たちは神様に「切に切においのり」し、また「真剣な祈り」熱心な祈り」をして、正に「祈りが深く」なって「神様と近くなる」という「恩恵」を頂き、コロナ()でさえも恩寵(おんちょう)(晴佐久昌栄神父)と言えるのではないでしょうか。

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