「喜べば」「大きな報い」「褒美(ほうび)」の「幸い」が「来る」
武田鉄矢さんとお母さん
日常生活を送る中で、「喜ぶ」ことの大切さはわかっていても、しかし、悲しい時、辛い時や苦しい時などがあると、不平不満を吐くことがあっても、「喜ぶ」ということはなかなかできないのではないでしょうか。それではどのように日々、「喜び」の実践をしたらよいでしょうか。
このことについて、武田鉄矢さんとお母さんの逸話が参考になるかと思います。
若い頃、フォークシンガーだった武田鉄矢さんは歌が売れなくて、東京から故郷の博多に帰り、お母さんに「もう歌をやめる」と言いました。するとお母さんは「やめるな」と言い、黙って冷酒をついでくれ、お父さんと共にコップを高々と掲げて、「鉄矢さん、成功おめでとうございます。かんぱい」と言ったそうです。
鉄矢さんは「めでたかことは、な~んもなかばい」と伝えると、お母さんは「とにかく先に祝おう」と言いました。…こうして親子三人でお祝いをしたら、のちに鉄矢さんの下に「幸福の黄色いハンカチ」の映画出演のオファーがきて、そこから一気にブレイクしていったのでした。
「予祝」(「あらかじめ祝う」)こと
武田鉄矢さんはこれが日本古来の「予祝」(よしゅく)、つまり、「あらかじめ祝う」ことで、「良いことが何もなくても先にお祝いする」という、言わば「前祝い」であることをあとで知り、「あの夜は忘れられない」と語っています。
鈴木秀子シスターと樋口廣太郎氏に共通する「先
取りの祈り」
この「予祝」、「あらかじめ祝う」、「良いことが何もなくても先にお祝いする」「前祝い」については、月報の先々月号で紹介した鈴木秀子シスターの「魔法の祈り」、アサヒビールの会長であったクリスチャンの樋口廣太郎氏の「感謝の祈り」も該当すると言えるのではないでしょうか。
鈴木秀子シスターは朝、目が覚めたときに、「今日一日幸せでした、ありがとうございます。明日も一日幸せです。ありがとうございます」と、「先に感謝すると、本当に良い気分になって、物事が好転していく」という「予祝」、「あらかじめ祝う」ような形で祈られているからです。
またアサヒビールの会長であったクリスチャンの樋口廣太郎氏も、倒産寸前であったアサヒビールに来た時、「神様、シェアが一番になりました。これで従業員もその家族も喜び、またそれを飲んでくれる人も喜んでくれます。有難うございました」という正に「予祝」的な、「先取り」した「感謝の祈り」をささげているからです。
「喜びなさい、大いに喜びなさい」
聖書においてもイエス様の言われる「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」(マタイ5:11-12)というみ言葉が「予祝」的な意味合いがあると言えるのではないでしょうか。
それは「ののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられる」ほどの「苦しみ、悲しむべき状況」に対して、「予祝」の「良いことが何もなくても先にお祝いする」ように「あらかじめ喜ぶ」、つまり、「先に喜ぶ」(先喜)」、また「前に喜ぶ(前喜)」と、のちに「天には大きな報いがある」また、「褒美がどっさり天であなたたちを待っている」(塚本虎二訳)「幸い」があると言われているからです。
「喜べば」「大きな報い」「褒美」の「幸い」が「来る」
「喜べば 喜びごとが喜んで 喜び連れて 喜びに来る」という言葉がありますが、正にイエス様はどんな時も「喜ぶ」ことの大切さ、「先取りした喜び」の効果を伝えられているのではないでしょうか。
私たちはあらかじめ、また先に「…喜んで」(Ⅰテサロニケ5:16)、「主において常に喜び」(フィリピ4:4)、「主にあって喜び、楽しみ」(詩編32:11)、あとに与えられる「大きな報い」「褒美」の「幸い」を待ちたいものです。
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