神様を避けどころとして静かに待つ
ひたすら時が過ぎるのを待つ
旅行会社H.I.Sの澤田秀雄会長は若い時に50カ国以上旅をして、当時
ビルマ(現ミャンマー)を訪れた際、肝炎になり、生死をさまよったそう
です。この時はじっと耐えることでどうにか生き延び、この経験から、苦
しい時ほど、一呼吸し、ひたすら待つという知恵をつけました。
そこから澤田氏は「運が向かない場合の基本的な、常識的な対応は、ひたすら
待つことだ。台風が来ているとする。猛烈な雨と風で、身動きが取れない。陰と
陽で言えば、陰の極地だ。そんなときに表に出て何をやってもうまくはいかな
い。看板が飛んできて、電線が切れているかもしれない。けがをする可能性は
格段に高い。だったらじたばたせず、丈夫な建物のなかで、ひたすら時が過ぎる
のを待つ。なぜなら、陰と陽にはバランスが働くから、陰の極地である状況が長
続きするはずはない。台風はやがて去る。それがわかっているのなら、いまが悪
いサイクルのもっとも下にいることが想像できるはずだ。逆らわず、無理をせず
に身を潜めて、雨がやみ、陽がさす日が来るまで体力を温存することを優先す
る。不景気も同様だ。長短の波はあれど、悪くなれば必ず良くなる」と述べて
います。
また澤田氏は「逆境というのは見方を変えれば、自分を鍛え、経験値を高める
絶好の機会だといえます。そう考えたら暗くなる必要なんてないでしょう」と語
られているとおり、「一瞬先は闇ではなく、一瞬先は光」という口癖で生きて
いるそうです。
「静かに耐えて待つ」
もちろん、ひたすら耐えて、待つということは非常に苦痛で、難しいこと
と言えるでしょう。
今は亡き、医師の日野原重明氏も「『耐えて待つ』ということは容易なことで
はありません。(しかし)そんなとき、私は笹の葉を連想します。冬、雪が積も
ると、笹の葉は雪の重みでだんだんと撓(たわ)んできます。その状態で、笹の
葉はじっと春を待ちますが、そのうちに暖かい陽射しが照るようになると雪が解
け、葉は自然に元の状態に戻ります」と語っています。
この話を聞いて、習慣化コンサルトの古川武士氏は「私もつらいことが起き
ると何も手が打てない状況では、『冬の笹の葉のように静かに耐えて待つ』を何
度も心に投げかけています」と述べています。
待てば海路の日和あり
「待てば海路の日和あり」ということわざがあり、これは今は思うようにい
かなくても、じっと待てばやがてチャンスが巡ってくるので辛抱強く待ち
なさいという意味です。
同じようにスペインのことわざにも「雷雨の後には平穏がやってくる」「じっ
くりと待てばいちじくやぶどうが必ず熟す時がくる」という言葉があります。
これらのことわざは上述の「陽がさす日が来るまで、ひたすら静かに耐えて、
時を待つ」ということと重なり合うと言えるのではないでしょうか。
神様を避けどころとして静かに待つ
聖書においては「主の救いを黙して待てば、幸いを得る」(哀歌3:2
6)。「わたしは静かに神を待つ。わたしの救いは神から来る」(詩編6
2:1 『祈祷書』)。また「わたしの魂はあなたを避けどころとし 災
いの過ぎ去るまで あなたの翼の陰を避けどころとします」(詩編57:
2)と記されています。
私たちはこのコロナの「災いの過ぎ去るまで」、神様を「避けどころと
し」て、「じっと耐え」、「主の救いをひたすら静かに待ち」、神様から
与えられる「幸いを得」たいものです。
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