「神様は何でも良いようにしてくださる」
神様の善なるご計画を知ったアキバ
1世紀後半から2世紀にかけて、ユダヤ人の有名な教師(ラビ)にアキバ・ベンヨセフという人物がいました。
高齢者だったアキバはユダヤ人に対するローマ帝国の迫害によって、祖国にいられなくなり、荒れた砂漠をさまようことになりました。
彼はさまよう中で、ランプ一個、雄鶏一羽、ロバ一匹というわずかな持ち物だけが全財産でした。
ある日、歩き疲れたアキバは、はるか向こうに明かりを見つけ、村人に一夜の宿を頼みましたが、不親切で誰一人として泊めてくれなかったのでした。仕方なく彼は、近くの森に入り、そこで一夜を明かすことにしました。
「ああ、なぜこんなつらい生活をしなければいけないんだ。…しかし、神様は正しいお方だ。神様は何でも良いようにしてくださる。」
アキバは森の中で、木の根元に座り、ランプに火をつけて、聖書の勉強を始めましたが、しかし、突然激しい風が吹いてきて、ランプの炎が消されてしまいました。
「なぜだ。好きな勉強もできないのか。しかし、神様は正しいお方だ。神様は何でも良いようにしてくださる。」
アキバは自分の体をじかに地面に横たえ、眠りに入りましたが、その後、目覚めると狼が現われて、彼の雄鶏を食べ、その後、ライオンが出てきて、ロバにかみついて、ロバが死んでしまう場面に出くわしました。
「ああ、何ということだ。かわいそうに雄鶏は死んでしまった。私の友であるロバもやられてしまった。しかし、神様は正しいお方だ。神様は何でも良いようにしてくださる。」
翌朝早く、彼は旅を続けるために馬でも買おうと思って、村に行ってみると、村はなく、家々はつぶされ、村人は誰一人、生きていなかった光景を目にしました。前夜、盗賊が村を襲い、住民を殺し、家財を略奪したからです。
アキバは、茫然と立ちつくし、しばらくして、彼は死んだ人々に対する神の憐れみを祈り、天を見上げて祈りました。
「もしあの無情な村人が、私を村から追い出してくれなかったら、私は彼らと運命を共にしたに違いありません。風がランプを消してくれなかったら、盗賊たちはそれを目標にやって来て、私を殺したでしょう。私の二つの友が奪い去られたのも、私の所在をその騒ぎ声で盗賊 に気づかせないように、との神様のご配慮であったのですね。神様は正しいお方だ。神様は一番、良いことをなさる。」
アキバは苦難の奥に働く、神の善なるご計画を知って、神様を心から賛美しました。
神様のご配慮とご計画
アキバの言う「神様のご配慮」については、聖書では「しかし、神に従う人は永遠に生きる。主から報いを受け、いと高き方の配慮をいただく」(旧約聖書 知恵の書5:15)ということになるでしょう。
またアキバの「神様の善なる計画」については、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」(箴言16:9)、「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ書29:11)と表現を変えて、記されています。
彼が何度も言っていた「神様は何でも良いようにしてくださる」とは聖書では「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(ローマ8:28)という箇所が重なり合っていると言えるでしょう。
「神様は何でも良いようにしてくださる」
私たちは人生を歩む中で、不幸や災いや苦難に襲われると「運がない」「ついていない」「ツキに恵まれていない」と思う時がよくあります。しかし、その時こそ、出来事の背後に神様の善なる計画、ご配慮があることを覚え、常に「神様は何でも良いようにして」「万事が益となるよう」にしてくださると考え、希望をもって生きたいものです。
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