「にもかかわらず」笑う

       笑いと涙は紙一重

 

現在のNHK連続テレビ小説(朝ドラ)の一つ前の『おちょやん』の中で「笑いと涙の隙間は紙一枚」というセリフが出てきます。


その話の内容は法要の中で供養(くよう)をお願いしたお坊さんが鐘を忘れ、代わりに人力車の呼び鈴を使い、集まっていた人々がそこで笑い、悲しみのムードが薄れたという話となっていました。そこから上述の言葉が出てきています。


「笑いと涙の隙間は紙一枚」とはつまり、「笑いと涙は紙一重」ということになるでしょう。


 喜劇王のチャーリー・チャップリンも「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」という名言を残しています。

 

「にもかかわらず」笑う

 

「笑いと涙は紙一重」ということについては、ドイツのことわざの「『ユーモア』とは『にもかかわらず』笑うこと」と通じていると言えるのではないでしょうか。


今は亡き、カトリックのアルフォンス・デーケン神父はジョークとは『頭の技術』です。それは言葉の上手な使い方やタイミングのよさのことを指します。このジョークもたまにはユーモアになりえますが、きついジョークは人を傷つけるので、ユーモアではないのです。ユーモアの原点は、こころとこころの触れ合いから生まれる、相手に対する思いやりです。私たちが相手を思いやり、愛を示したいと考えるとき、出発点は相手が何を望んでいるかを考えることです。ユーモアはより温かな人間関係を気づくための貴重な能力だと思います」と解説しています。


キューバ危機の中での交渉

 

 1962年にアメリカの喉元、キューバに核ミサイル基地の建設が明らかになった「キューバ危機」と言われた事件がありました。


その時、キューバの背後にいるソビエト連邦の共産主義と、資本主義アメリカの対立がピークに達し、全面核戦争の危機が訪れました。


  米ソの外交交渉もらちがあかず、険悪な雰囲気となったその時、「まずくないですか、この険悪な空気。今から一人ずつ、笑い話でもしていきませんか」という提案がされました。


まず、ソ連側が「資本主義と共産主義の違いは何か。資本主義は人が人を搾取する。共産主義は人が人に搾取される」と話し、つまり、「資本主義も共産主義も人を搾取する」というユーモアを語ったのでした。


 この一言で会場が爆笑の波に包まれ、交渉が無事再開し、その後、様々な議論を経て、全面核戦争は避けられたのでした。

 

  ユーモアは苦しみを和らげる

 

ナチスの強制収容所を生きぬいた精神科医であるヴィクトル・フランクル博士は悲惨な収容所生活の中で、「毎日最低一つは笑い話をこしらえよう」と仲間の囚人たちに話し、どんなことでも笑いに変えてしまう特技をもたれていたそうです。


 インド独立の父マハトマ・ガンディーも「もし、私にユーモアがなければ、これほど長く苦しい戦いには耐えられなかったでしょう」と語っています。

 

窮地(きゅうち)をユーモアで返す

 

使徒聖パウロは罪を犯していない「にもかかわらず」監禁され、鎖につながれたまま、当時の総督や王の前で尋問(じんもん)された時がありました


パウロは長い間、弁明した後に、王から短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」と批判され、彼は「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが(使徒言行録26:28,29)と語っています。つまり、パウロは尋問(じんもん)された時、「つながれる」という単語で「キリスト」「鎖」を結び合わせ、窮地(きゅうち)だった「にもかかわらず」ユーモアで返し、王たちをうならせたのでした。


私たちもコロナ禍で、窮地(きゅうち)に立たされる時がありますが、しかし、その時は神様の力を頂いて、ユーモア精神をもって、生きていきたいものです。


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