2019年11月20日(水)ほっこりカフェと第2部
いつものようにほっこりカフェは14時半から開催しました。
第1部、第2部ともお客様3名、スタッフ2名の合計5名が参加しました。
第1部、第2部ともお客様3名、スタッフ2名の合計5名が参加しました。
皆でコーヒーを飲み、岡山聖オーガスチン教会のバザーの美味しい手作りお菓子を食べながら、おしゃべりしました。
また第2部として、16時頃から「幸せになるためには」キリスト教的人生観の講話を開催しました。
今回のテーマは「愛」で、このテーマから人生について色々と学びました。
明治の文豪の徳富蘆花の歌に「人は愛せずして生きるあたわず。愛されずして生きるあたわず」というのがあります。
また、ドイツの文学者ゲーテは、「天には星がなければならない。地には花がなければならない。人の心には愛がなければならない」と言いました。人は愛なしに生きることはできず、愛なしの人生は空しいものと言えるのではないでしょうか。
一つの例話 ラルフ・パンチ博士
世界で初めての黒人としてノーベル平和賞を受けたラルフ・パンチ博士という人がいます。
彼が12才の時に母親が病死しましたが、その病床でお母さんが彼の手を握ってこう「ねえ、ラルフ、どんなに辛いときでも絶対に『信仰と希望と愛』を忘れてはダメよ、いい!?」と言い残したそうです。
数週間後には床屋さんをしていたお父さんも亡くなり、彼は孤独の世界に取り残されましたが、ロサンゼルスにいる祖母に引き取られ、中学、高校へとなんとか進みました。
高校3年も終わる頃、奨学生の名前が発表される日がやって来ました。クラスで一番の成績であったので、彼は自分の名前が呼ばれることに確信を持っていました。ところが彼は呼ばれず、そこで内心、怒りでいっぱいになり、彼の思いは張り裂けんばかりでした。
今まで彼が経験させられて来た辛い人種差別の数々が走馬灯のようによみがえって来て、同時にこの時、彼の中にもう一つ、よみがえって来たものがありました。それはかつてのお母さんの言い残した言葉でした。「ねえ、ラルフ、どんなに辛いときでも絶対に『信仰と希望と愛』を忘れてはダメよ、いい!?」
そこで彼は怒りを鎮め、祈り、平静になりました。その後、彼はやがて国連で立派な働きをし、ノーベル平和賞を受けました。
2つめの例話 日常での無償の愛の話
3つめの例話 酒田大火と呼ばれる大火事
1976年(昭和51年)10月29日山形県の酒田で、酒田大火と呼ばれる大火事がありました。
この酒田大火が起こる少し前に、一人の女性が花嫁として酒田にやってきました。その嫁ぎ先は3代続いた八百屋さんで、嫁がくるというので大変喜んで、新しい家具や新しい衣装もそろえました。そして、思い切って新しい家も新築したのです。
ところが突然の酒田大火ですべてを失ってしまいました。2人は何かめぼしいものはないかと家の跡に行きました。ところが残念なことに、全部灰になってしまって何一つ残っていませんでした。思わず涙が流れたのですが、その時ふと祈っていなかったことに気がついたのです。そこで祈ろうということになったのですが、御主人はなかなか言葉が出ません。そこで奥さんに祈れと言うことになりました。
その時奥さんの心にコリント13章13節「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである。このうちで最も大いなるものは愛である」という一つの御言葉が心に浮かび、こう祈りました。
「神様、私は新しい家も、家具も、衣装もすべて失いました。けれども、あなたに対する愛が変わらないことを感謝します。そして、私の夫に対する愛も変わらないことを感謝します。私は夫を愛します。私は夫に従います。」
この祈りを聞いた御主人は大変喜んで、次の日にバラック小屋を建てて八百屋をはじめました。あまり2人がニコニコしているのでお客さんが、「あなたたちは、火事ですべてを失ったんでしょう。それなのに、なぜあなたたちは、そんなにニコニコしているのですか」と聞かれます。
日本全体が貧しくて食べ物に困っていた頃、ある中学生の男の子が自分のお弁当と間違えて、お父さんが山仕事に持っていくお弁当を学校に持ってきてしまいました。
男の子はお昼に、お父さんのお弁当を食べるのが楽しみでした。 家が貧しかったので、いつもご飯が少なめのお弁当をがまんして食べていた男の子は、
「お父さんは山で激しい仕事をするのだから、いつものお弁当よりもご飯がぎっしり入っているに違いない」と考えていたからです。
昼休みに男の子は、期待を込めてお弁当のふたを取りました。中身を見た男の子は「あっ」と思わず叫んでしまいました。お父さんのお弁当は、自分のお弁当よりもはるかにご飯が少なかったのです。「お父さんは、これっぽっちのご飯であんな激しい仕事をしているのか……」男の子は驚きました。
しかも、いつもの自分のお弁当には、干し魚がおかずに入っているのに、お父さんのお弁当は生味噌と梅干しが一個入っているだけでした。「これがお父さんのお弁当だ」男の子は胸がつまりました。
そして、一粒も残さないようにお父さんのお弁当をきれいに食べました。その晩、お父さんが帰ってきて 「お前、お弁当、間違えただろ。おなかすいたんじゃないか?」と言って、自分の茶碗からご飯を分けてくれました。この日、男の子はたまらない気持ちで眠れませんでした。
この男の子はお父さんの姿を見て、自分よりも大きな人の存在を感じたと思います。日常での無償の愛、与える愛とはこのような話のことを言うのではないでしょうか。
1976年(昭和51年)10月29日山形県の酒田で、酒田大火と呼ばれる大火事がありました。
この酒田大火が起こる少し前に、一人の女性が花嫁として酒田にやってきました。その嫁ぎ先は3代続いた八百屋さんで、嫁がくるというので大変喜んで、新しい家具や新しい衣装もそろえました。そして、思い切って新しい家も新築したのです。
ところが突然の酒田大火ですべてを失ってしまいました。2人は何かめぼしいものはないかと家の跡に行きました。ところが残念なことに、全部灰になってしまって何一つ残っていませんでした。思わず涙が流れたのですが、その時ふと祈っていなかったことに気がついたのです。そこで祈ろうということになったのですが、御主人はなかなか言葉が出ません。そこで奥さんに祈れと言うことになりました。
その時奥さんの心にコリント13章13節「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである。このうちで最も大いなるものは愛である」という一つの御言葉が心に浮かび、こう祈りました。
「神様、私は新しい家も、家具も、衣装もすべて失いました。けれども、あなたに対する愛が変わらないことを感謝します。そして、私の夫に対する愛も変わらないことを感謝します。私は夫を愛します。私は夫に従います。」
この祈りを聞いた御主人は大変喜んで、次の日にバラック小屋を建てて八百屋をはじめました。あまり2人がニコニコしているのでお客さんが、「あなたたちは、火事ですべてを失ったんでしょう。それなのに、なぜあなたたちは、そんなにニコニコしているのですか」と聞かれます。
最初は、すべてのものを失っても神様の愛は変わらないからと説明をしていたのですが、あんまり沢山の人に聞かれるので、とうとう自分の証しを印刷して酒田全市に配ったということでした。
このようにすべてを失ったとしても神の愛はなくならない、神の愛は永遠に注がれ、希望を与えると言えるのではないでしょうか。
参加者の皆さんからは体験から出たすばらしいご感想やご意見があり、感動しました。
愛、神の愛について、とても良き学びをしました。
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