「三人の子どもたちの献身」「彼らの信仰を見て」

  「三人の子どもたちの献身」

 

福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師はある時、教会でトラクト配りをしていて、受け取ったトラクトをポイッと投げ捨てていく人とも少なくなく、トラクト配りが終わると、みじめな気持ちでそれを拾い集めて帰って行きました。

しかし、拾いそびれたトラクトの中にくちゃくちゃに丸められたトラクトを拾った女性がいて、彼女はそれを伸ばして読んで、教会に来て救われ、やがてその女性の妹さんも救われました。

妹さんは最初、キリスト教が嫌いだったそうですが、「最近の姉を見ていると、同じ母親のお腹から出てきた姉妹とは信じられない」と思うようになり、ある時姉妹が祈っている姿を見て、「ああ、祈っているから違うのか」と考えたそうです。しばらくしてこの姉妹の弟さんもクリスチャンになりました。

この方たちのお父さんは以前、アルコール依存症に近く、お酒を飲むと暴れることがあり、子どもたちは殺されるのではないかと思ったこともあるようです。そのような中で弟さんも誘われて教会に行き始めたのですが、聖書の教えを聞くうちに、「親を憎む自分の心に罪がある」と示されて、やがて洗礼を受けました。そしてそれからこの三人姉弟たちは、親のために一生懸命祈る子どもになったのです。

ある時、そのお父さん草刈りをしていたら、急に足がきかなくなってしまい、病院に行ったら、「すぐに切断しなければならない」と宣告されました。必死の思いで「足を切断したら治るんですか」と聞くと、「残念ながら今度は手にくるだろう。次は反対の足に来る。命の保証はできない」という返事だったそうです。あまりにも残酷な話しですから、彼は死ぬのを待って以内で先に自殺しようとしました。……

それを聞いた三人の子どもたちは、電話などで一生懸命お父さんを励ましました。神学校に行っていた息子は「お父さん、神学校をやめてお父さんを手伝うから。一生懸命祈るから。教会の人にも言って、みんなに祈ってもらうから」と言いました。

すると不思議なことが起こりました。医者の言ったとおりに手もきかなくなり初めていて、字も書けなくなっていたのに、ある時急に治ったのです。手ばかりでなく、足も治りました。医者のほうがびっくりして、「どうしたんですか」と聞いたそうです(佐藤 彰『信仰から生まれるもの』 いのちのことば社から引用)。

この実話は正に三人の子どもたちが父親を思う熱意、「親のために一生懸命祈る」姿、即(すなわ)ち、彼らの信仰の姿を見られた神様が祈りを聞かれ、癒やし、治されたということではないでしょうか。

 「彼らの信仰を見て」

 

「親のために一生懸命祈る」ということ、殊(こと)にまた友人などのために「一生懸命祈る」こと、つまり、そのような「信仰」を見られた神様は祈りを聞かれ、癒やし、治されるということが新約聖書のマルコによる福音書5章1節~12節に記されています。

新約聖書時代、人々を癒されるイエス様の噂を聞きつけて、中風の病を患(わずら)った人の友人である四人が床に寝たままの状態である中風の彼を連れて、何とか癒してもらえないかとイエス様の下にやって来ました。
 しかし、そこにはあまりにも多くの人たちが集まっていたため、イエス様の目の前にたどり着くことが困難だったので、彼らは中風の友人を運んで、その家の屋上に登って家の屋根に穴を開け、そこから中風の友人をイエス様の前に吊(つ)り降ろしました。

イエス様は「その人たちの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦される』と言われ」(マルコ2:5)、その後、「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい」(マルコ2:11)と語られて、癒やされました。

ここで注目したいのはイエス様が床に寝かされている中風の人の信仰を見て、癒やされたのではなく、彼を連れて来て、屋根に穴を開けて吊(つ)り降ろした「彼らの信仰」を見られて、この中風の人を癒やされたということです。

「彼らの信仰」というのは四人の友人たちの病人を必ず助けてくださるという「イエス様に対する強い確信、イエス様を全く信頼していて、絶対的な深い信頼、純粋なより頼み」という「信仰」を指すでしょう。

彼らはこのようイエス様への絶対的な「信仰」があって、そこでイエス様は心を打たれ、その信仰に心を動かされ、癒やされたのではないでしょうか。

私たちも病気や患(わずら)いのある方々、友人・知人たちがおられる時、私たちが「イエス様に対する強い確信、イエス様を全く信頼していて、絶対的な深い信頼、純粋なより頼み」という「信仰」をもって祈る場合、神様は私たちのその「信仰を見て」「癒やし、治される」のではないでしょうか。

 私たちは「信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます」(ヤコブ5:15)というみ言葉を覚えて、今後、祈り続けたいと思います。

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