「条件付きの愛」から「神様からの無条件の愛」へ

「条件付きの愛」

 

ある女性は両親の私への愛、とりわけ父の愛は、条件付きの愛、つまり、「お前が、〇〇だと愛する」といった、条件を提示されたメッセージの入った愛(のようなもの)ということを語っています。

彼女は常に、父から「テストで90点やれば、褒めてやる(愛してやる)」「クラスで一番を取ったら、褒めてやる(愛してやる)」「いい子だったら、褒めてやる(愛してやる)と言われて育ちました。

小学生の頃、彼女はテストで80点を取って、「ほら、よくできたでしょ。褒めて」と言うつもりで意気揚々ようようと家に帰って、父に自慢げに答案用紙を見せたら、父からこっぴどく叱られ、「なぜ、80点なんだ。なんで100点を取れないんだ!テストが終わって、最低3回は見直さなきゃダメだろ!」とよく叱られていました。

またあるときは小学生の頃、市の作文コンテストに友達と気軽に応募したら、賞を取って、学校で表彰され、表彰状と贈答品を持ち帰り、父に()めてもらおうと、早々に帰宅しました。

 すると父は、一言、「なんで、準優勝なんだ。なぜ優勝できないんだ」と怒られ、そして、入賞した作文を見ると、これがダメ、あれがダメ、とダメ出しまでしてきました。彼女は、ただ単に、頑張ったことを褒めてもらいたかっただけなのに、「よくやったね」と一言言ってもらいたかっただけなのに、結果は叱られて終わりでした。

 

「完璧を求めていた父親」

 

彼女が言うには父親は彼女に完璧を求めていて、父はいつも、私に有名になって欲しいと願い、父の自慢であって欲しいと思っていました。

その後、彼女が小学6年生になり、結果、望んでもいない中学受験をすることになり、父親は周りに、(すで)に娘が学校に受かった気どりで、自慢ばかりしていましたが、しかし、結果は見事不合格でした。

 不合格と分かった日に、彼女は父の部屋に呼び出され、ものすごい剣幕で説教されて、忘れられない出来事となったそうです。父にとって、娘は合格していなければならない存在で、不合格は「父の恥」を意味するものだったのです。

 

「条件付きの愛で育った結果

 

また、彼女がアメリカに渡って1年目に、アメリカでも人種差別の激しい地域の大学に入学してしまい、ひどくアメリカ人にイジメられていました。彼女は、辛くて、辛くて、毎日泣いてばかりの日々で、遂に日本の父に電話をして、事情を説明し、一言、「帰りたい」と伝えました。

すると父は、自分の世間体を気にして、「絶対に帰ってきてはダメだ」と言いました。父にとって、娘がアメリカに留学していることは、周りへの自慢であり、世間体的に、娘がドロップアウトして帰国するなんて、あり得ない話で、彼女の帰国をひどく恐れていたのです。

こうして、条件付きの愛で育った彼女は、いつしか、自分にとても自信がない、ひどく自己肯定感の低い大人に成長していったのです。(『条件付きの愛で育った私(無条件の愛) HP 『Your Life & Career』から)

 

「神様からの無条件の愛

 

 聖書においては「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4)、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)、「しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます」(ローマ5:8)、「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(Ⅰヨハネ4:9~10)と記されています。

神様にとっては私たちが「優秀だから」「地位・名誉があるから」「健康だから」「才能・知識があるから」という「何かを持っている」から神様に愛されるのではなく、神様は私たちそのもの、今の私たちを条件なしに、つまり、「無条件な愛」でそのまま愛してくださることを魂に刻みたいと思います。

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