「生きてるだけで丸もうけ」「おまけの人生」という捉え方で人生を歩む
「生きてるだけで丸もうけ」
1985年8月12日、ある人気芸人は東京の人気番組の収録後、日本航空JAL123便で大阪へ移動し、毎日放送の人気番組に出演予定でした。
しかし、たまたま東京人気番組の収録が予定よりも早く終わったため、日本航空JAL123便をキャンセルし、ひとつ前の便で大阪に向かうことになりました。
人気芸人が乗る予定だった日本航空AL123便は墜落し、その犠牲者数は520名に及び、彼は事故当日の生放送のラジオレギュラー番組で、「遺族のお気持ちを考えると、ちょっとお笑いトークはできませんね。しかも、日航123便は、この『ヤングタウン』に出演するための移動手段として、私もよく利用していたんですよ。今日も123便を利用する予定でした。身体がずっと震えています。もしかしたら、私も死ぬところだったかもしれない」とショックを受け、番組はほぼ事故の報道に終始し、その後はずっと曲が流されました。
本来なら彼は航空機墜落事故で亡くなっていたかもしれず、九死に一生を得た経験から「生きてるだけで丸もうけ」という言葉を使うことになりました。
「おまけの人生」
聖書においては旧約聖書の列王記下20章1節~7節で詳しく記されています。
「そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主はこう言われる。『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主にこう祈った。「ああ、主よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。イザヤが中庭を出ないうちに、主の言葉が彼に臨んだ。「わが民の君主ヒゼキヤのもとに戻って言いなさい。『あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。…』」イザヤが、「干しいちじくを取って来るように」と言うので、人々がそれを取って来て患部に当てると、ヒゼキヤは回復した」と記されています。
死の病にかかっていて、死ぬ宣告を受けていたヒゼキヤ王は回復したことで、命の尊さを感じ、回復後の彼は「おまけの人生」を与えられたという自覚をもって、第2の人生を歩んだのではないでしょうか。
「人間の自然寿命は38歳」
生物学者で早稲田大学名誉教授の池田清彦氏は人間の寿命について、以下のように語っています。
「自然のままの生物としての寿命を『自然寿命』といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。ちなみに、観察されている限り、ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します。人間だけが自然寿命の倍以上も生きられるのです。
人間だけが手にできた自然寿命後の長い人生は、貴重な『おまけ』のようなものです。幸運にも手にした「おまけ」の人生は、できる限り自由に楽しく、自分らしく生きていくことこそが、善き生き方なのです。」(『40歳からは自由に生きる 生物学的に人生を考察する』)。
「生きてるだけで丸もうけ」「おまけの人生」という捉え方
私たちも人生を送る中で、九死に一生を得ることはないとしても、病気や事故などによって命の危機を感じ、命の尊さを体験したとすれば、正に「生きてるだけで丸もうけ」ということを実感できるのではないでしょうか。
また私たちが38年以上、生きているとすれば、正に「貴重な」「幸運にも手にした」『おまけ』の人生」を与えられていると言えるのではないでしょうか。
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