「神はあなたの善行をすべて記録しておられます」
「徂徠(そらい)豆腐」
落語で有名な「徂徠豆腐」という逸話があり、主人公の豆腐屋の七兵衛は当時、仕官もできず、浪人状態で、貧乏で苦しむ空腹の荻生徂徠に対して、毎日、豆腐やおからを差し入れしました。
七兵衛は徂徠に対して「出世払いでいいですよ」とお代は取らず、毎日、彼は徂徠に対して「自腹」で差し入れをしますが、ある時、七兵衛が風邪をひき、数日間寝込んで、ようやく風邪が治った後、徂徠の家へ行くのですが、彼の姿はなく、七兵衛は『のたれ死んだりしていないだろうか』と心配しました。
その後、七兵衛は不幸なことに火事で自分の家と店を失い、失意のどん底の状態にいた時に大工の吉兵衛という人が訪ねて来ました。
大工の吉兵衛は「あるお方から、頼まれて、10両(現在換算 約40万~60万)を持ってきた」とお金を置いていき、その後、「切腹=自腹を切った」赤穂浪士事件の処理をして、幕府の要人となった荻生徂徠がやって来て、豆腐屋夫婦と再会を果たすことになりました。
以前、10両をことづけしたのも徂徠で、豆腐屋夫婦に「新しい店」も与え、さらに「出世払い」として10両を渡すと、七兵衛から「先生は立派だ」と誉められ、荻生徂徠は「私はただの豆腐好きの学者」だと謙遜していると、七兵衛は「この店を見たらわかります。先生は私のために自腹を切ってくださった」という内容となっています(諸説あり)。
この話は笑い話となっていますが、「情けは人のためならず」という仏教でいうところの「因果応報」「善因善果」の思想が隠されていることがわかります。
「善を行い、与える先にあるもの」
聖書において、「貧しい者をかえりみる人はさいわいである。主はそのような人を悩みの日に救い出される」(詩編41編2節 「口語訳」)。この個所の他の訳では、
「幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される」(「新改訳」)。
「いかに幸いなことでしょう 弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき 主はその人を逃れさせてくださいます」(「新共同訳」)
「幸いな者、弱い者を思いやる人は。災いの日に、主はその人を救い出して
くださる」(「聖書協会共同訳」)
「幸いだ、弱者に心を向ける者。災いの日には、ヤァウェが彼を逃れさせよ
う」(「聖書翻訳委員会訳」【岩波訳】)
「幸いである、不幸な人を思いやる者。主はその人を災いの日に救い出す」(「フランシスコ訳聖書」)
「貧しい者に親切な人は、神から祝福を受けます。その人が困難に会うとき、主は助けの手を差し伸べてくださいます」(リビングバイブル訳 詩編41編1節)と訳されています。
上述の訳を見ると「貧しい者」「弱っている者」「弱い者(もの)」「弱者」を「かえりみる人」「心を配る人」「思いやりのある人」「思いやる人(者)」「心を向ける者」「親切な人」は「さいわい」「神から祝福を受け」、さらに「主は」「その人を」「悩みの日」「災い(わざわい)のふりかかるとき・日」「困難に会うとき」「救い出してくださる(救い出す)」「助け出される」「逃れさせてくださいます」「助けの手を差し伸べてくださいます」という神様から「救い・助けの手」が「差し伸べら」れることが約束されています。
使徒聖パウロも「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります」(ガラテヤ6:5)と語り、イエス様も「与えなさい。そうすれば、自分にも与えられる」(ルカ6:38)、「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」(マタイ5:7)と言われています。
私たちは「神はあなたの善行をすべて記録しておられます。誰も気づいてくれないようなことも神はご覧になっていて、あなたが困っていたらそれを返してくださいます」(ジョエル・オースティン牧師)ということを覚えたいものです。
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