「神様はドアを閉めたとしても 」 有名な映画 「サウンド・オブ・ミュージック」 に 修道女を目指していた マリアが登場します。 マリアは自由 奔放 ( ほんぽう ) な性格のために修道院長から一度修道院を去って、自分自身を見つめ直すことを勧められますが、しかし、マリアは「修道院こそが私の居場所です」と最初は 拒 ( こば ) みます。 結局、修道院長からトラップ大佐の 邸宅 ( ていたく ) で家庭教師をすることを命じられ、彼女は悩みながらもトラップ大佐の家へ向かうことになりました。 修道院を出る前にマリアは 「神様はドアを閉めたとしても、必ずどこかの窓を開けておいてくださる」 (「 When the Lord closes a door, somewhere he opens a window. 」 吹き替えでは 「道はきっとどこかに通じるわ」 となっていて、また他の映画訳で 「神様は耐えられない 試練 ( しれん ) は与えない」 と訳されている)と自分自身に言い聞かせました。 その後、マリアはトラップ大佐宅で家庭教師を送る中で 紆余曲折 ( うよきょくせつ ) がありながらも、最終的にトラップ家と共に成長していき、 皆が幸せな生活を送ることになって、正に 「神がドアを閉める時、神は窓を開ける」 (『ブラジルのことわざ』)ということが実現したのです。 「ドアが閉じる時、もう一つのドアが開く」 同じように科学者で電話機の発明者のグラハム・ベルも 「扉が一つ閉まると必ず別の扉が開くのです。ただ、閉まった扉をいつまでも悔しそうに見つめていて、開いた扉に気づかない、そういう人が多いのです」 と語っています。 ヘレン・ケラーも 「一つの幸せのドアが閉じる時、もう一つのドアが開く。しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない」 という言葉を残しています。 英国の殉教者のジョン・ブラッドフォードはリュウマチを 患 ( わずら ) い、失望落胆していました。しかし、悪臭のする、汚い地下 牢 ( ろう ) に投げ込まれ、そこから生きて出てくることが出来ないとわかったとき、 「私がこの 牢 ( ろう ) に閉じ込められ、試練を耐えて以来ずっと、リュウマチの痛みもなく...
コメント
コメントを投稿