「神は私たちと共におられる」「われとともに」ー「神が生きていらっしゃるなら、絶望はない」
「神が生きていらっしゃるなら、絶望はない」
1517年にマルティン・ルターは当時の腐敗していたローマカトリック教
会に対して、「95条の提題」を教会の扉に提示して、そこから宗教改革が
始まりましたが、しかし、1521年にカトリック教会から正式に破門さ
れ、命の危険にさらされることになって、彼は希望を失い、意気消沈してい
ました。
ある時、悲嘆にくれるルターの書斎に妻のカタリーナが黒い喪服を着て、黒
い帽子をかぶって入ってきました。ルターは驚いて、彼は「いったい、誰が
亡くなったのだ」と尋ねると、カタリーナは「神様が亡くなりました」と答
えました。
ルターが「神様が亡くなった、なんて、何をおかしなことを言うのだ」とた
しなめると、彼女は「あなたがそれほど落ち込んでいるから、てっきり神様が
死んだと思いました。もし、神が生きていらっしゃるなら、絶望はないのではな
いですか(もし、私たちの神様が生きておられるなら、なぜあなたはそんなにま
で失望されるのですか)。私たちは生ける神様のみ力にすがって、どこまでも戦
ってまいりましょう」と答えました。
妻の「神が生きていらっしゃるなら、絶望はない」という言葉を聞いて、ルタ
ーは我に返り、改めて、今も生きておられ、神様が「共におられる」という
信仰の原点に立ち返り、奮い立って、前進していくことになりました。
「神はわがやぐら われとともに」
ルターは旧約聖書の詩編46編によっても、力づけられ、常に「共におられ
る」神様が「助け手」「避けどころ」となってくださるということを再確認
したのでした。
詩編46編は「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のと
き、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。夜
明けとともに、神は助けをお与えになる。万軍の主はわたしたちと共にい
ます。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔。万軍の主はわたしたちと共にいま
す。ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」(46:2,3,6,8)という内容
となっています。
1528年にルターは有名な讃美歌「神はわがやぐら」を作詞・作曲して、
その一部の歌詞は以下のようになっています。
「神はわがやぐら わが強き盾 苦しめるときの 近き助けぞ おのが力 おの
が知恵を 頼みとせる 陰府の長も など恐るべき …われとともに」(聖歌
「453番」)
「神は私たちと共におられる」
ある女性は田舎住まいで、山に囲まれていて、日没後は街灯が無く、真っ暗
で、ある時、帰りが遅くなりました。
彼女はうっそうとした林道を通ろうと思いましたが、しかし、恐ろしくて通
れず、何とか歩を進めようとしますが、恐怖で足がすくんで、固まってしまい動けませんでした。
どうしても動けず、どうにもならず、その場で彼女は主に叫び祈ると、その
時に突然「インマヌエル」「神は私たちと共におられる」というみ言葉が光の
ように臨み、「主が共におられる」という感覚がリアルに臨んで来て、その
場がパッと明るくなったように感じたそうです。
彼女は「神は私たちと共におられる」という臨在のもとにその林道を通り抜
けることが出来、その経験は、後の彼女の信仰人生に大きな励ましとなりま
した。
私たちも「神が生きていらっしゃるなら、絶望はない」という言葉を励みに、
「神は私たちと共におられる」「われとともに」という確かな約束を魂に刻み
込み、今後、希望を捨てずに生きていきたいものです。
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