「神の手の中にいる」という意味は「神のまなざしがあなたに注がれて」「神にとってかけがえのない者」ということが前提

 釈迦しゃか様の手中にあった孫悟空

 

有名な『西遊記(さいゆうき)の小説は三蔵法師(さんぞうほうし)孫悟空(そんごくう)ら三人の弟子に保護されなが

ら、天竺(てんじく)(インド)へ経典(きょうてん)を求めて旅をする話となっています。


 『西遊記』の中で孫悟空(そんごくう)釈迦(しゃか)との「手のひらの話があります。自信

過剰(かじょう)孫悟空(そんごくう)神通力(じんずうりき)自負(じふ)していて、そこでお釈迦(しゃか)様が右の手のひらから

飛び出せるか、問うと、孫悟空はキント雲に乗って、飛び去って遠くにたど

り着き、そこで見つけた5本の柱の真ん中に、証拠として自分の称号

(しょうごう斉天せいてん大聖たいせい」を記しました。


 孫悟空(そんごくう)は得意げに戻り、お釈迦(しゃか)様に報告すると、お釈迦(しゃか)様は手のひらを開

き、中指に書かれている「斉天(せいてん)大聖(たいせい)」を示され、孫悟空(そんごくう)はお釈迦(しゃか)様の手中に

あることを示されたのです。

神様の手中にある人間

 

他方、キリスト教では人間は神様の手中にあることが聖書に記されていて、

あなたの命と行動の一切を手中に(にぎ)っておられる神(ダニエル5:2

3)と言われているとおりです。


また同じように以下の旧約聖書の詩編139編(1-5,7-8,18節)に

も示されています。


主よ、あなたはわたしを(きわ)


わたしを知っておられる。


座るのも立つのも知り


遠くからわたしの(はか)らいを(さと)っておられる。


歩くのも()すのも見分け


わたしの道にことごとく(つう)じておられる。


わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに


主よ、あなたはすべてを知っておられる。


前からも後ろからもわたしを囲み


御手(みて)をわたしの上に置いていてくださる。


どこに行けば


あなたの霊から離れることができよう。


どこに逃れれば、御顔(みかお)を避けることができよう。


天に登ろうとも、あなたはそこにいまし


陰府(よみ)に身を横たえようとも


見よ、あなたはそこにいます。


わたしはなお、あなたの中にいる。

 

あなたは神の手の中にいる

 

マザーテレサはそのことを()まえて、苦悩(くのう)の中にあるとき、孤独(こどく)なとき、問


題をかかえているとき、このことを思い出すと(はげ)まされます。忘れないでくださ


い、あなたは神の手の中にいるということを。そして、あなたが苦悩(くのう)の中でもっ


とも苦しんでいるまさにそのとき、神のまなざしがあなたに注がれているという


ことを。あなたは、神にとってかけがえのない者だということを」と語ってい


ます。



「神の手の中にいる」あなたの中にいる」という意味は神のまなざしがあ

なたに注がれて」「神にとってかけがえのない者」ということが前提にされて

いることを覚えて、今後、歩んで行きたいものです。


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