「わたしの助けは主から 天地を造られた主からくる」
フジ子・ヘミングさん
名ピアニストのフジ子・ヘミングさんは戦時中に建築家でスウェーデン人の父
と、ピアニストで日本人の母との間に生まれました。しかし、手続きの不備で
スウェーデン国籍を喪失し、無国籍となりました。
さらに彼女は母親との確執、ハーフゆえのいじめ、音楽の世界でのねたみ争
い、難民ビザで留学したドイツで聴力を失って帰国もできず、砂糖水で飢えを
しのぐほどの極貧を送るという波乱万丈の人生を送りました。
試練の連続だった彼女は「途中、何度も思いました。なんで神様は私をこんな
目に遭わせて平気でいるのだろう、と。だけど、そうではなかった。まるで、私
の人生は神様にプログラミングされていたかのように感じます」と語っていま
す。事実、彼女の言ったとおり、その後、テレビのドキュメンタリー番組をき
っかけに有名人になり、彼女の人生の全てが神様のお導き、ご計画の下にあっ
たことがわかります。
「聖書の言葉は、私に訪れた」
フジ子・ヘミングさんは「私は波乱万丈の人生の終わりに幸運を勝ち得ました
が、『遅くなっても待っておれ。それは必ず来る』という聖書の言葉は、私に訪
れたのです。どんな荒波の人生のときでも神の言葉を守り通した人に、神は必ず
救いを与えてくださいます」と語っています。
彼女は数々の苦難の経験から、「自分(の成功)にふさわしい時期がくるまで
ひたすら待つということも、大切なこと」、「辛いことがあっても私は負けなか
った。いつかはこの状況から抜け出せる日が来ると信じていたから」と告白して
います。
またフジ子・ヘミングさんは演奏前に十字を切り、コンサートの演奏中にも
「イエス様、イエス様」と1分ごとに心で祈り、そのようにすると演奏が必
ず、うまくいくそうです。イエス様に徹底して頼ると、正に「うまく事を運ん
だ」(創世記39:2)。新共同訳では「事は順調に運び」、また「何をして
もうまくいきました」(リビングバイブル訳)という結果になるのでしょう。
「わたしの助けはどこから来るのか」
フジ子・ヘミングさんの信仰の根底にあるのは以下の旧約聖書の詩編121編
1~2節であると思われます。
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
わたしの助けはどこから来るのか。
わたしの助けは来る
天地を造られた主のもとから。」(新共同訳)
「わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。」(口語訳)
「私は山に向かって目を上げる。
私の助けは どこから来るのか。
私の助けは主から来る。天地を造られたお方から。」(新改訳2017)
私たちが使用している『日本聖公会 祈祷書』の「詩編」では、
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ∥
わたしの助けはどこから来るのか
わたしの助けは主から∥ 天地を造られた主からくる」』となっています。
また彼女は「あなたを待つ者に計らってくださる方は 神よ、あなたのほかに
はありません」(イザヤ64:3)という確信があったから、「ひたすら待
つ」ことができたのでしょう。
私たちも「わたしの助けは主から 天地を造られた主からくる」という確信の
下に、「『遅くなっても待っておれ。それは必ず来る』という聖書の言葉は、私
に訪れた」ということは私たち自身にも当てはまるということ、そして「自分
(の成功)にふさわしい時期がくるまでひたすら待つということ」を覚えたいと
思います。
コメント
コメントを投稿