平安を与えてくださるイエス様
19世紀のロンドンの様相
19世紀のイギリスのロンドンは急速な都市化と劣悪な環境のスラム街の二極
化となって貧困の差が極限状態となり、貧しい労働者が増加し、さらに犯罪が
多発し、孤児で溢れかえっていました。またコレラや結核も猛威を振るってい
て、「この時期のロンドンは、よほど強靱な精神をした者でない限り、暗鬱な
気分にさせられ、ことによると浮き足立たされかねないほど陰惨な様相を呈し
ていた」(G・H・パイク)ようです。
C.H.スポルジョン牧師の説教
そのような厳しい現実の中で失望し、痛む人々を前に「説教者の中の説教者」
と呼ばれたイギリスのバプテスト派教会のチャールズ・ハッドン・スポルジョ
ン牧師は皆に慰めの言葉を語りました。その一部を紹介いたします。
使徒聖ペテロは、「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならない
のですが」(Ⅰペテロ1・6)と記しました。私たちは様々な試練に遭うばかり
でなく、それらが私たちを悲しませ、落ち込ませます。それは神のしもべの最も
優れた者にさえ起こることです。熱心に主を愛する人を私は何人も知っていま
す。
主はそのような人たちをこよなく愛しておられます。主にとって彼らは尊い存在
です。彼らは謙虚で、柔和で、優しい人たちです。
しかし、それにもかかわらず、彼らはひどい困難に遭遇し、暗雲が彼らを覆うこ
とがあります。私が今特に言及しているのはこのような人たちについてです。自
分にはそんなことは起こらない、などど思うべきではありません。
困難な中にいる友よ、あなたも誰にも理解してもらえない深い悩みと悲しみ、だ
れにも知られたくない苦難に遭遇しているかもしれません。そして、周りにいる
最も信頼できる人にさえそれを話すことなく、あるいは、心の中に密かに隠して
いるかもしれません。しかし、そのためにあなたはかえってますます苦しくなっ
てはいませんか。そのような場合、キリスト者の友人との交わりが大きな助けと
なるかもしれません。大きな苦難の中にあるとき、もし涙を流すことができれば
平安を得ることがあります。また、もしあなたが心ゆくまで泣くことができれ
ば、その困難を乗り越えることができるでしょう。
しかし、時にあなたは自分の悩みをどのように表すべきかわからなくなり、その
結果、鬱積した炎がさらに激しくなります。もしだれにも話すこともできない悩
みがあれば、主イエスを見上げるように、と愛を込めてあなたにお勧めします。
あなたのすべての悲しみを主に告白してください。そして、必要なときに、助け
てくださるようにと主にお願いしてください。どんなことも主に話してくださ
い。主が生きておられるのであれば、主は耳を傾け、応えてくださいます。そう
すれば、あなたが平安のうちに歩むことができるようになります。…」(「悲し
まなければならない」『いこいの水のほとりにて』)
平安を与えてくださるイエス様
聖書ではイエス様は「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安
をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異な
る。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」(ヨハネ14:27 口
語訳)。他の訳では「あなたがたに贈り物をあげましょう。あなたがたの思い
と心を安らかにすること、それがわたしの贈り物です。わたしが与える平安
は、この世のはかない平安とは比べものになりません。だから、どんな時にも
おろおろしたり、恐れたりしてはいけません」と言われています。
私たちもコロナ禍で「様々な試練に遭うばかりでなく、それらが私たちを悲しま
せ、落ち込ませ」ることがありますが、その時は「耳を傾け、応えてくださ」る
「主イエスを見上げ」、「すべての悲しみを主に告白して」「助けてくださるよ
うにと主にお願いし」、イエス様からの「平安」を頂き、今後、「平安のうち
に歩」みたいものです。
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