決して「ひとりではない」「イエス様・父なる神様が共におられる」から
「いつもあなたがたと共にいる」
東洋英和女学院大学副院長の高橋貞二郎氏は病を患い、1ヵ月近く、入院する
ことになりました。高橋氏は『これから先、どうなるのか』と不安になった時、
「心をつくして主に信頼せよ」(箴言3:5)の聖句が、今までよりもさらに心
に響いてきたそうです。また、一人病院のベッドで孤独を感じた時には「『いつ
もあなたがたと共にいる』(マタイ28:20)の聖句を通して、改めて、どのよ
うな時も共におられて語りかけ、平安を与えて下さる主と出会った思いがした」と
述べています。
さらに高橋貞二郎氏は「まさに『聖書の中において、キリストは私達に出会い、
また私どもに語りたもう』(E・ブルンナー『我等の信仰』)…この体験は、…自
分を力づけ、試練の中で生きる希望と勇気を与えた」と告白しています。
「心の中は不思議なくらいに静か」
『瞬きの詩人』と呼ばれた水野源三さんは38歳の時に母親を病気のために
亡くし、悲しみのあまり、涙があふれて、絶望の淵(ふち)にいましたが、し
かし、その後、徐々に元気を取り戻していきました。
その時の心境を「泣かないでください」という詩で表わしています。
泣かないでください 母をうしなった私のために
泣かないでください もう泣かないでください
心の中は 不思議なくらいに 静かなのです
キリストが 私と共に おられるからでしょうか
彼は絶望し、悲しみの中でも、イエス様がずっとそばにおられ、共にいてくだ
さったお陰で「心の中は不思議なくらいに静か」で、「平安」「安らか」だっ
たということを告白しています。
水野源三さんにとって、生涯、神様が共におられて、「一人ぼっちではない」
ということを実感したことは大きな励まし、希望となったことでしょう。
64回ある「共にいる(おられる)」という聖書のみ言葉
神様が「共にいる」というみ言葉は聖書で64回使われていて、「恐れるな、
わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなた
は押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず炎はあなたに燃えつかない」
(イザヤ43:1~2)、「この名は、『神は我々とともにおられる』という
意味である」(マタイ1:23)、「わたしは世の終わりまで、いつもあなた
がたと共にいる」(同上28:20)が有名です。
決して「ひとりではない」
イエス様は逮捕され、裁判にかけられ、十字架につけられる時、弟子たちに逃
げられて、置き去りにされ、一人きりにされました。弟子たちに見放され、見
捨てられたイエス様の心情は如何ばかりだったでしょうか。
その状況の中でイエス様は「しかし、わたしはひとりではない。父が、共にい
てくださるからだ」(ヨハネ福音書16:32)と言われています。他の訳で
は「しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられる
のである」(口語訳)、「しかし、わたしは一人ではありません。父がついて
おられます」(リビング・バイブル訳)と記されています。
このイエス様のみ言葉からわかることは、状況的にたとえ「ひとりきり」「一
人ぼっち」のようであったとしても、「父なる神様が共におられ」、内面的・
精神的に「一人ではない」ということが示されていると思います。
私たちも人生を歩む中で状況的、立場的に「ひとりきり」「一人ぼっち」にな
って、悲しむ時がありますが、しかし、その時は「『父』なる神様」「イエス
様」が「共にいてくださる」「一緒におられる」「共におられて語りかけ、平
安を与えて下さる」こと、また、その神様のお陰で「心の中は不思議なくらい
に静か」となり、決して「一人ではない」ということを魂に刻みたいと思いま
す。
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