「神に頼るように」

         命の危険が迫るダビデ王

 

 ダビデ王は彼を(ねた)んで、憎んでいたサウル王から殺されそうになり、彼

者たち600人はサウル王から追跡を逃れて、ユダの地を転々としていまし

た。


 逃亡中のダビデはユダの町のケイラの人々がペリシテ人に襲われていた時、

助けましたが、しかし、ケイラの人々から裏切られ、荒野へと逃亡せざるを

得なくなりました。


 ダビデたちは度々の逃亡生活の疲れと不安、常に命を(おびや)かせられるとい

怖、助けたケイラの人々に裏切りによって、弱り果て、失望落胆し、疲労

困憊(こんぱい)だったことでしょう。

 

「神に頼るように」

 

その窮地(きゅうち)に親友ヨナタンがダビデを訪ねを励ましました。


 「そのとき、サウルの子ヨナタンがホレシャにいるダビデのもとに来て、神

に頼るようにとダビデを励まして」(サムエル記上23:16)と記されて

いるとおりです。


 「神に頼るようにとダビデを励まして」はNIV(「新国際版聖書」)では

「神に力を見出すようにと助けた」という訳となっています。


 ヨナタンは命の危険にあって恐れていたダビデに対して、「神に頼る」

と、「神に力を見出す」ことの重要性を説いたのでした。


 ヨナタンはダビデに恐れや失望落胆からの解決、克服法は唯一「神に頼る」

しかないということを示したのでした。

 

  死が迫る中で神様に叫ぶ

 

 ダビデ王は命が(おびや)かされ、死が迫る時、神様により頼んで、すがり、神

呼び求め、叫びました。その祈りを聞いた神様は危険な所から助け出し、命

を救い、守ってくださいました。


 ダビデが「死の縄がからみつき 奈落(ならく)の激流がわたしをおののかせ 

(よみ)縄がめぐり 死の網が仕掛けられている。苦難の中から主を呼び求め 

わたしの神に向かって叫ぶとの声は神殿に響き 叫びは御前に至り、御耳に届

く。主は高い天から御手を遣わしてわたしをとらえ 大水の中から引き上げ

てくださる。わたしを広い所に導き出し、助けとなり 喜び迎えてくださ

る」(詩編18:5~7,17,20)と告白しているとおりです。

 

「神様に行くほか、行くところがない」

 

 ある時、ダビデ王は神様が喜ばないとされる「人口調査」をした時、神様か

ら三年間の飢饉(ききん)、三ヶ月間の敵の攻撃、三日間の疫病(えきびょう)という罰が

宣告されした(サムエル記下24章1~13)。 

 その時にダビデは大変な苦しだ。主の御手にかかって倒れよう。主の慈悲

大きい。人間の手にはかかたくない」(同24:14)と言っています。

デの「主の御手にかかて倒れよう」の言葉は聖書協会共同訳では「主の手

おちいらせてほしい」う訳になっています。


 またアメリカ大統領のアブラハム・リンカーンは逆境の日に「私は神に行く

ほか、行くところがないので、しばしばひざまついて祈らざるを得なかった」

と語っています。

 

こんな時こそ、神様に頼り、すがること

 

 近年、水害・地震などの災害や新型コロナウィルス(デルタ株など)で、以

前にも増して、私たちの生命が(おびや)かされ、命の危険を感じ、死を意識・覚

することが多くなっています。


  この時こそ、私たちは常に神に頼るよう」「神に力を見出すように」とい

う原点に返り、今後も「主の御手にかかって倒れ」るぐらい、また「神様に行

くほか、行くところがない」という思いで、神様に頼り、すがっていきたいも

のです。

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