あなたたちは静かにしていなさい


イスラエルの民の危機的状況

紀元前13世紀頃、モーセは神様から「エジプトで奴隷として苦しんでいるイスラエルの民を連れ出して、約束の地であるカナンを目指せ」というお告げを聞きました。

モーセは苦役を課しているエジプト王に「イスラエルの民の解放」を願い出ましたが、しかし、王(ファラオ)は拒否し、その結果、エジプトには「十の災厄」が起こり、王はついに屈服し、イスラエルの民の解放を認めたのでした。

そこでイスラエルの民はモーセに率いられて、エジプトを脱出し、神様の約束の地へと旅立ちましたが、しかし、ファラオはそのことを後悔し、考えを一変し、「戦車に馬をつなぎ、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車六百をはじめ、エジプトの戦車すべてを動員し、それぞれに士官を乗り込ませた。…王はイスラエルの人々の後を追った」(出エジプト記14:6~8)のです。そして「エジプト軍は彼らの後を追い、ファラオの馬と戦車、騎兵と歩兵は、ピ・ハヒロトの傍らで、バアル・ツェフォンの前の海辺に宿営している彼らに追いついた」(同14:9)のでした。

イスラエルの民の前には海、後ろからファラオの戦車部隊が迫って来て、まさに袋の中の鼠、万事休す、四面楚歌、絶体絶命の状況でした。
その時「イスラエルの人々は非常に恐れて主に向かって叫び、また、モーセに言った。「我々を連れ出したのは、エジプトに墓がないからですか。荒れ野で死なせるためですか。一体、何をするためにエジプトから導き出したのですか。我々はエジプトで、『ほうっておいてください。自分たちはエジプト人に仕えます。荒れ野で死ぬよりエジプト人に仕える方がましです』と言ったではありませんか」(同14:10~12)と叫びました。

恐れてはならない

モーセはうろたえて泣きわめくイスラエルの民に「恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。あなたたちは今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(同14:13)と言いました。

モーセは「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」(同14:21~22)。そして、「主はモーセに言われた。『海に向かって手を差し伸べなさい。水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返るであろう。』モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった」(14:26~28)という奇跡が起こったのでした。
こうしてイスラエルの民は危機的状況、絶体絶命の中から救われたのです。

あなたたちは静かにしていなさい

 
私たちは現実的に新型コロナウィルス感染拡大により、上述のイスラエルの民のように進むべき道が全て閉ざされている現実、「危機的状況」「絶対絶命」の経験をしている最中であると言えます。前にも進めず、後ろにも進めず、もうどうすることもできない、もう終わりだ、絶望しかないと悲的観で後ろ向きになってしまいがちだと思います。

このような絶体絶命の状況に立たされた場合、自分で何とかしようと焦ってあの手この手を打ってみることがよくあるのではないかと思います。あるいはイスラエルの民がそうだったように神様や人に対して、絶望の叫びや投げやりの態度、不平や不満を口にしてしまうことがあるのではないでしょうか。

モーセはそのような打つ手がなく、八方塞がり、行き詰まりという絶望的状況の時、主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」(12:14)と語りました。口語訳では「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」となっています。つまり、神様で戦われるのだから、信頼して、静かにして黙している必要性を説いているのです。

イザヤ書30:15でも「まことに、イスラエルの聖なる方 わが主なる神は、こう言われた。「お前たちは、立ち帰って 静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」と言われ、何があっても、安らかに、主に信頼していることに救いがあり、力の源があるということを述べています。

もちろん、神様を信じていても、新型コロナウィルス感染拡大による恐れ、不安、心配をなくすことは難しいかと思います。それでも私たちは自分の力で戦って問題を解決し、恐れを克服するのではなく、神様が私のために戦ってくださること。そして、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい」と語られる勝利を宣言される神様がおられることを覚えて、静かにして、沈黙して、主の救いを待ち望みながら、生きていきたいものです。
「神はわがやぐら」カルバリー聖歌隊&アンサンブル オーケストレーション:田中隆美 2017年6月11日大和カルバリーチャペル第三礼拝特別賛美↑
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