「悪いものをもらっていた」という後の報い

 「不」という漢字、熟語について

 

 漢字の「不」がある言葉、熟語を見てみますと、大体、「否定的」「マイナスなもの」「ネガティブ」の内容があることがわかります。

 たとえば、二字熟語では「不幸」「不備」「不足」「不作」「不便」「不安」「不吉」「不幸」「不当」「不快」「不況」「不遇」「不慮」「不平」「不満」、三字熟語では「不景気」「不条理」「不合理」「不利益」「不安定」「不自由」「不公平」「寝不足」「理不尽」という内容となっているからです。

上述の漢字、熟語に対して、私たちは人生を送る中で、ほとんどどれか一つを体験していたり、また複合的に経験したり、現在もそれを継続中と言うこともあるかもしれません。

 

 「金持ちとラザロ」のたとえ話

 

聖書において、上述のように漢字の「不」の体験をした人々が多くいて、「金持ちのラザロ」(ルカによる福音書16章19~31節)のたとえ話は典型例だと言えるでしょう。

この金持ちと貧乏人ラザロのことを見てみますと、金持ちは「いつも紫の衣や柔らかい麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた」のでした。

 他方ラザロは金持ちの「門前に横たわり、食卓から落ちる物で腹を満たしたいものだと思い、犬にできものをなめ」られている悲惨な生活を送っていました。

彼は全身できものだらけで、病気の苦しみがあり、さらに食べる物もなく、衰弱(すいじゃく)しきっていて、当時の不浄(ふじょう)な動物といわれていた野良犬が来て体をなめられるという屈辱(くつじょく)的な思いをして、正にこの世の「不条理」「不合理」「理不尽」な目に()っていたのでした。

金持ちは贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)に過ごし、他方、ラザロは生きも絶え絶えという状況ですが、しかし、物語の後半でたとえ話は突如、二人が死んだ後の死後の世界に移っています。

 贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)を送っていた金持ちは裁かれる場所である陰府(よみ)でさいなまれ、焼かれて(かわ)き苦しみ、もう一方のラザロは、アブラハムのそばで宴会の席に着いて、安らかな状態、平安の中にいることが記されています。

 自ら置かれた境遇に納得できず、苦しむ金持ちに対して、アブラハムは「子よ、思い出してみるがよい。お前は生きている間に良いものをもらっていたが、ラザロは反対に悪いものをもらっていた。今は、ここで彼は慰められ、お前はもだえ苦しむのだ」と語っています。

地上の生涯において、「悪いものをもらっていた」ラザロは「宴会」を意味する天国にて、「慰められ」ているのです。

 

「悪いものをもらっていた」ヨブの結末

 

旧約聖書に出てくるヨブも皮膚病を患い、一瞬で農園と子供などすべてを失って、大いに苦しみ、正に悪いものをもらっていた」境遇でしたが、しかし、苦難の後に「主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた」42:10)。さらに 主はその後のヨブを以前にも増して祝福された」(42:12)のでした。

 

「悪いものをもらっていた」という後の報い

 

ラザロやヨブのように悪いものをもらっていた」結果後に「慰められ」「以前にも増して祝福され」るとすれば、私たちがこの世で「悪いもの」を受けるとすれば、後に「慰められ」「以前にも増して祝福され」るのではないでしょうか。

 私たちがこの世で受ける「悪いもの」ということについて連想する時には上述の「不条理」「理不尽」など以外には「病気」や「患い」、「苦しみ」「悩み」「痛み」「悲しみ」「嘆き」「災い」「事件」「事故」「危難」「危機」などではないかと思います。

私たちは日常生活において、また人生を歩む中で上述のような悪いものをもらってい」ると思えば思うほど、後に元の境遇に戻」され、「以前にも増して祝福され」、また死後においても「宴会」、つまり、神様が共におられる「天国」「慰められ」「報われ」という捉え方をして、今後、人生を歩んで行きたいものです

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