「心の穴、隙間(すきま)、空洞(くうどう)を埋(う)められる神様」
「心の中に穴があく」
今は亡き、ノートルダム清心学園理事長の渡辺和子シスターは50歳の時にうつ病になり、68歳で膠原病を患い、その治療薬の副作用で背中の骨が損傷するという大きな病気に悩まされることがありました。
渡辺和子シスターはそのような経験から、「人生には思いがけない穴があくことがあります。病気だったり、挫折をしたり、人から中傷されたり、裏切られたり、大きな失敗だったり、あるいは大切な人の死だったり。理不尽で辛いことがいっぱいある。…人生というステージに穴があくと、そこから隙間風が吹いて寒くなる。そこで(私たちは)それをふさごうと一生懸命になる」と述べています。
同じように旧約聖書学者の浅野順一氏も著書『ヨブ記』において、「人間一人一人の生活や心の中には大なり、小なり穴の如きものが開いており、その穴から冷たい隙間風が吹き込んで来る。…例えば病弱であるということも一つの穴であろう。その穴を埋め、隙間風のはいらぬようにすることも大事であり、宗教がそれに無関係だとはいい得ない。しかし同時にその穴から何が見えるか、ということがもっと重要なことではないであろうか。穴のあいていない時には見えないものがその穴を通して見える。健康であった時には知りえなかったことを病弱となることによって知り得る。しかるに我々はその穴を早く埋めることに心を奪われ、穴がなければ見えぬものを穴を通して見るという心構えを疎かにして、それを問題にさえしないということになり勝ちであるがそれで良いか」と述べています。
「心の穴、隙間、空洞を埋められる神様」
17世紀の科学者・哲学者であるパスカルは 「人間の心にはどんなものも埋めることのできない大きな空洞がある。それを埋めることができるのは神だけだ」と述べ、人の心を満たすものは神以外にはないと語っています。
事実、パスカルは16歳で数学界の頂点に立って、早い段階で富と名誉を得ましたが、しかし、心の穴、隙間、空洞を埋めることができず、30歳になってイエス・キリストを信じたことで、初めて心が満たされたのでした。
同じようにある教派の牧師も「創造主でしか埋めることができない空洞を何か別のもの(仕事、お金や物質、名声、自己実現、社会奉仕、異性、趣味娯楽…)で埋めようとしても埋めることができません。…心の空洞は、永遠を支配しておられる創造主によって埋められるということ イエスキリストは私達のぽっかりと空いた空き家状態の私達の心の中を温かい愛ときよらかな義で満たして下さる」と述べています。
「イエス様だけが心を安らかにしてくださる」
聖書において、イエス様は「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」(ヨハネ4:14)。また「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」(ヨハネ6:35)と言われています。
またパウロも「キリスト・イエスに頼る時、その平安はあなたがたの心と思いとを静め、安らかにしてくれるのです」(ピリピ4:7 リビング・バイブル訳)と語っています。
私たちは「世界を見れば失望するでしょう。自分の内面を見れば憂うつになるでしょう。しかし、キリストを見れば、あなたの心は平安になります」(コーリテン・ブーム)ということを覚えたいものです。
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