「誰かが祈ってくれていた」「信仰が無くならないように祈った」
鈴木秀子シスターの体験
鈴木秀子シスターは47歳の時、近代文学学会に属していて、奈良であった学会に参加し、学会先の修道院に宿泊することにしました。
宮室の屋敷を改造した修道院は部屋までは急な長いはしごが掛けてあり、夜中に鈴木シスターは寝つかれず起きだし、眠っているシスターたちを起こさないよう、電気をつけず、暗い廊下を静かに歩いていきました。
鈴木シスターは壁づたいに歩きながら、曲がり角の二階廊下だと思っていた先は階段で、足を踏み外してしまい、その瞬間、体のバランスを崩し、高く急な階段を一気に下まで転げ落ちて、一階の床に叩きつけられるという大事故に遭いました。すぐにシスターたちが駆け寄ってくれましたが、5時間くらい意識不明になり、救急車が到着するまで修道院の二階のベッドに寝かされていて、その時、いわゆるまばゆい光に包まれるという臨死体験をしました。
「癒してください、癒してください」
鈴木シスターは臨死体験の中で外国人シスターの「癒してください、癒してください」という少しつたない感じの日本語で、独特のアクセントをもった声が聞こえ、彼女はそこで気がついて、意識を取り戻したそうです。
「癒してください」との祈りによって、奇跡的に一命をとりとめた鈴木シスターは「祈りには力があり、伝わる」ということ、また祈りは「いざという場合に命をも救う働きがある」と告白しています。
「あなたのために50年間、祈ってきました」
ルーという男性が半世紀以上が経って、故郷のブルガリアのある村に仕事で来て、村人に自分の信仰について話していたところ、高齢の女性が近づいて来て、「あなたのために50年間、祈ってきました」と言われ、彼は驚いて、深い感謝のまなざしで彼女を見つめました。
彼が聞くところによると、この高齢の女性はルーの父親が若いときに住んでいた村の隣の家に住むキリスト者で、彼女はルーが誕生した時から祈り始めたと語り、彼女の長年の祈りによって、彼は30歳近くになってから救われ、信仰を持ったのでした。
「誰かが祈ってくれていた」
上智大学名誉教授だった渡辺昇一氏はがんに侵され、想像を絶する苦しみの中で「ありがとう」と言い、亡くなる直前には「この年になって、この苦しみを味わって、やっとわかったことがひとつある。人間はこの深い命によってみなつながっている。…自分のことも、きっと誰かが祈ってくれていたに違いない。だから自分は今日まで命を保つことができたのだ」と語っています。
「信仰が無くならないように祈った」
聖書においてイエス様はご自身を裏切る弟子のペテロに対して、「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32-33)と言われました。
私たちは誰かがいつも「癒してください」と祈ってくださっていること、長年、「あなたのために祈ってきました」という人や「自分のことも、きっと誰かが祈ってくれていた」お陰で、現在の自分があること、救い主イエス様は私たちに対しても常に「信仰が無くならないように祈っ」てくださっていることを覚えたいものです。
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