神様に感謝をささげることは幸せと喜びの結果をもたらす
魔法の祈り
鈴木秀子シスターは朝、目が覚めたときに、「今日一日幸せでした、ありがとうございます。明日も一日幸せです。ありがとうございます」と、「先に感謝すると、本当に良い気分になって、物事が好転していく」という「魔法の祈り」を紹介しています。
事実、隣人の嫌がらせに悩んでいたある人は、引越しようかと悩んだ挙句、この祈りを6年間も実践すると、ある日、隣人が訪ねてきて、全てを詫びたという結末が待っていたのでした。
その隣人は「今まで申し訳なかった。お宅が羨ましくて、嫉妬して、6年間も嫌がらせに費やして、私はことごとく力が尽きてしまって、目が覚めました」と語り、そこで嫌がらせを受けていた人は鈴木シスターに「あの祈りは本当に効きますね」と告白したそうです。
神様に祝福される祈り
ある一人のクリスチャン青年がアメリカ滞在の日本人牧師の家に長期的にホームステイすることになりましたが、アメリカでは車が不可欠のため、車の免許を取ることにしました。
彼が試験場に行くと、見るからに厳しそうな表情の試験官が現れ、青年は運転試験中に責められ、試験官は付きそいの牧師に対して、「この男は全然運転ができない。免許を取る資格もない。もう一度やり直し」と大変な剣幕で怒鳴りました。
青年は数週間後に再試験を受けると、再び、前の試験官が現れ、そこで牧師は『もうだめだ。第一印象が悪いんだから、きっと厳しくチェックされる』と心配になり、青年の方をふと見ると、車の中の運転席で手を組み、一生懸命にお祈りをしていました。
その時、その試験官が何かを思い出したようにくるっと方向転換し、背を向けて、別の場所に行き、代わりに優しそうな試験官が現れ、青年は無事に合格することになりました。
彼は試験後に「あの試験官が来た時にもうだめだと思いました。でも神様、あなたのご計画ですから感謝します。私は彼を愛します。彼に祝福がありますようにと祈ったら、急にその試験官が別の試験官と交代してしまったんですね。神様は僕が憎しみよりも愛を持ったことを喜び、祝福してくださったと思いました」と語ったそうです。
感謝の祈りをし続けていくと
アサヒビールの会長であったクリスチャンの樋口廣太郎氏は、アサヒビールに来た時、すでに市場でのシェアは一ケタで、会社は倒産寸前でした。
樋口氏は「何事でも神の御心に適うことを私達が願うなら、神は聞き入れて下さる」(Ⅰヨハネ5:14)との神の約束を確信して、「神様、シェアが一番になりました。これで従業員もその家族も喜び、またそれを飲んでくれる人も喜んでくれます。有難うございました」という感謝の祈りをささげ続けました。
感謝の祈りをし続けた結果、神様は大きく応えてくださり、瀕死の状態だったアサヒビールは業界No.1へと変えられたのでした。
神様に感謝をささげることは幸せと喜びの結果をもたらす
上述の「感謝の祈り」はすべて「最善・最良の結末」となりましたが、この祈りは聖書においては「いかに楽しいことでしょう 主に感謝をささげることは いと高き神よ、御名をほめ歌い」(詩編92:2)。口語訳は「いと高き者よ、主に感謝し、み名をほめたたえるのは、よいことです」、聖書協会共同訳は「いと高き方よ、なんと喜ばしいことか 主に感謝し あなたの名をほめ歌うことは」と表現されています。つまり、「神様に感謝をささげること」は「楽しい」「よいこと」「喜ばしいこと」であり、その感謝の祈りは正に「幸せと喜びの結果をもたらす」ことを示しているでしょう。
私たちも「最善・最良の結末」となる「魔法の祈り」「神様に祝福される祈り」「感謝の祈り」をし続けたいものです。
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