「あきらめない」先にあるもの
一攫千金の夢を持ったダービー
1860年前後アメリカがゴールドラッシュを迎えていた時代に、東海岸のメリーランド州からダービーが一攫千金の夢を持って、コロラド州のロッキー山脈を目指しました。
ダービーはほどなく金の鉱石らしきものを数個掘り出し、その鉱石を製錬所に持ち込み、純度の高い鉱石であるという確信を得ました。
ダービーははやる心を抑え、故郷に一旦戻り、家族と友人らから借金をして、専門の採掘機器を購入し、ほどなく、甥のR.U.ダービーを連れ、意気揚々とコロラド州に戻りました。
しばらく順調に採掘が続き、採掘機器を購入するための借金だけは幾らか返済し、採掘作業を続けていました。ところが叔父と甥ダービーチームは掘っても、掘っても金鉱石は出ず、『もう少し。あと、もう少し』と夢を捨てきれないでいる二人は、黙々と採掘を続けました。
しかし、金鉱の壁にぶち当たり、ある日、二人は顔を見合わせ、大きなため息をついて、『もうここまでだ』と決心をし、 二人は高価で買い入れた採掘の採掘機器と金鉱も2、3万円で廃品業者に売り払いました。その後、傷心、失意の中で故郷に帰り、自宅に戻ってから二人は借金を返すことで何年も費やしました。
ダービーチームがコロラドを去ったその後、中古の採掘機を買い取った廃品業者はある時、思い立って、ある鉱山技師にダービー叔父・甥に起こった事を話し、ダービー達が掘ってていた現場と周辺の査定を持ち掛けます。
金鉱の分布する断層線に詳しい鉱山技師は快く引き受け、計算式を出し、金鉱脈を詳しく調査をしてみた所、金鉱脈は確かにあったのでした。
ダービーチームが苦労をして、真っ黒になって這いつくばって、掘って、掘ってそれでも見つからなかった金脈は、何とダービーたちがあきらめた最後の場所からたった1メートル弱の場所にちゃんと眠っていたのでした。
この廃品業者は1億余りの価値ある金脈を掘り当て、コロラド州でもっとも豊富な金脈を持ち、後にとんでもない大金持ちになったことは言うまでもありません。
大変な状況であっても、あきらめない
一方はこの出来事によってダービーの人生は劇的に変わりました。
ダービーは『たった1メートル掘れば大金持ちになれたはず』という悔やんでも悔やみきれない思いを持ちながら、その後はひたすら借金を返す人生でした。
しかし、金脈からわずか1メートル弱の所で作業をやめてしまったという過ちをダービーは決して忘れず、数年後、「あれは、不幸に見えて結局は幸福をもたらすものになった。僕は、どんなに大変な状況であっても、あきらめないで頑張り続けることを教わった。もっと早くに学ぶべきだったが、今じゃどんなことでもあきらめないで頑張れるようになっている」と語りました。こうしてダービーはその後、地元のメリーランドで保険の営業マンを勤め、保険業界では1、2を争う成功者になりました。
アメリカの成功哲学者ナポレオン・ヒルは「成功者たちの秘密は学歴でもない、才能でもない、家柄でもない、失敗してもあきらめない、断固として決めたことを実行する」ことと結論付け、「逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されている」と述べています。
「あきらめない」先にあるもの
私たちは人生において、特に祈りについて、祈りが叶わないとすぐにあきらめたり、あるいはまた、何事にもあきらめずに頑張っていても段々と心がくじけていき、完全にあきらめてしまうということがよくあるのではないでしょうか。
そこでイエス様は「気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」(ルカ18章1節)とあります。
たとえ話は神をも恐れない裁判官でさえ、しつこくあきらめず願い求める人に対しては裁判を開いてくれる。まして、あわれみ深い神様が信仰者の真実な祈りを聞いてくださらないはずはない。神様は信仰者の熱心でしつこく、あきらめない祈りを聞いてくださるという内容となっています(同18:2~8)。
上述の1節は他の訳では「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた」(口語訳)、「イエスは、絶えず祈るべきであり、落胆してはならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された」(聖書協会共同訳)と記されています。
私たちは逆境や困難の中ですぐにあきらめず、『もう少し。あと、もう少し』という、「あと一歩」のところ、「あと1メートル」先に勝利、成功が待っていることを覚えて、祈りや行動するときには失望、落胆せず、前を向いて、人生を歩んでいきたいと思います。
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