天国銀行に貯金をする生活へ
死ぬときには何一つ持っていくことができない
大阪のある銀行の支店長が自分の死期が近づき、「私が死んだら、棺桶の両側に穴を開け、そこから両手を出したままで火葬場に送ってもらいたい」という遺言を残し、実際、このような葬式が行われました。
彼は銀行の支店長で、仕事上、人から何億円のお金も預かり、また彼自身もたくさんのお金を預金しており、まるでお金に囲まれているような生活を送っていました。
しかし、彼は「死ぬときには一文もあの世に持っていくことができない」ということ、また「世の富がはかないものであること」を人に悟らせるために文字通り、手ぶらで世を去って行く有様を皆の前で示したのでした。
一生を終えて残るもの
それでは死んだ後には何も残らないのでしょうか。それについてはフランス人のジェラール・シャンドリという人が「私たちが一生を終えて、この世に残るものは生涯をかけて集めたものではなく、生涯をかけて与えたものである」と述べています。つまり、唯一、生涯かけて与えたものだけが残り、収集したもの、集めたものはのちには残らないと言われているのです。
天国にいっぱい貯金をしている
2020年7月26日の「ポツンと一軒家」いう人気番組で、高齢の仲の良いご夫婦が毎日、お弁当持参で、軽トラックに乗って山奥のご自宅から経営する自転車屋へ通勤し、閉店後、山奥の「ポツンと一軒家」に戻るという内容を放映していました。
その集落には若い人や子どもが少なく、自転車はたまにしか売れず、ご主人は現在、農機具の草刈機やチェーンソーの修理が仕事の大半を占めていて、仕事の空き時間には器用な手先を活かして、耳かきや肩たたきなど様々なものを手作りしてしているようです。
ご主人はそれらを売るのではなく、 全部、無料で必要としている人に配り、あげているということでした。その行動を奥さんが「お父さんは、天国にいっぱい貯金をしている」と誇らしげに語っていました。
天国銀行に貯金をする生活へ
心理カウンセラーの植西聰氏は『徳を積み立てると幸運が引き出せる 宇宙銀行』
という本の中で表現を変えて、以下のように述べています。
「銀行には二種類あるということをご存知でしょうか。一つは、お金を預けたり、借りたりする、普通の銀行のことです。もう一つの銀行は、いわゆる『宇宙銀行』という・・・ものです。そして注目すべきは、この宇宙銀行へ預けるのはお金ではなく、“徳”であるということです。人を喜ばせたり、尽くしたり、社会のために役立つようなことをすると、それが徳となって宇宙銀行に積み立てられ、満期になると積み立てられた徳の量だけの恩恵が・・・授けられるというものです」と書いています。
そのような徳を積み上げると宇宙銀行、つまり、聖書的に言うと「天国銀行」の預金通帳の預金額が増え、それが満期となると積み立てられた徳の量だけの恩恵が神様から与えられると言えるのではないでしょうか。
聖書でもイエス様は「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない」(マタイ6:19-20)と語っておられます。
後半の「富は、天に積みなさい」は別訳の聖書協会共同訳では「宝は、天に積みなさい」となっています。
その「富」「宝」というのはこの世の富や物質的なものではなく、「生涯をかけて与えたもの」、具体的には「人を喜ばせたり、尽くしたり、社会のために役立つようなこと」などの徳や、また聖書の「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5:22-23)と言えるのではないかと思います。
イエス様は「富」「宝」は「天に積みなさい」、つまり、「天に蓄えなさい」と教えておられます。地上で積んだ徳、与えたものなどは、すべて神様に覚えられていて、神様が天国銀行に貯蓄、貯金をしっかり記帳、管理してくださって、いつの日か、私達が天国に帰って行った時、神様はよくやった、これがあなたが地上で蓄えていた分だと渡して、報いてくださるということです。
私達はこの地上で天国銀行の預金通帳の預金額が増えるような、与えること、徳を積む貯金生活をして、天国で良き住まいを与えて頂きたいものです。

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