失われたものを尋ね、探し求め続け、救う神


失うこと、なくすこと

人は人生の中で、失うことやなくすことが多いのではないかと思います。
漢字の熟語を調べてみると、「失う」ことに関しては「失恋」「失明」「失敗」「失業」「失意」「失命」「紛失」「損失」「過失」、四字熟語では「落胆失望」「自信喪失」などが出てきます。また「無い」ということに関しては「無力」「無常」「無縁」「無念」「無残」などが挙げられます。
私たちは上述のいずれかを大なり小なり、日常で経験しているのではないでしょうか。


失われたものを尋ね、探し求め続け、救う神


イエス様は金銭に目がくらみ、民衆から嫌われ、信仰を失っていたのも同然であったあった徴税人の頭のザアカイに対して、「人の子は、失われたものを探して救うために来たのである」(ルカ19:10)と述べられています。
イエス様は失われた者を決して見捨てず、見放されず、探し求め続け、救いに来られたのということです。事実、神様はわたしは失われたものを尋ね求め、追われたものを連れ戻し、傷ついたものを包み、弱ったものを強くする」(エゼキエル34:16)、方です。また「追いやられたものを、神は尋ね求められる」(コヘレトの言葉3:15)。「聖書協会共同訳」では「神は過ぎ去ったものを捜し求める」となっています。
  
ヨブの苦しみの先にあったもの

ヨブは子ども、財産、健康などすべてを失いましたが、しかし、「主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。…主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。 …ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。ヨブは長寿を保(ヨブ記42:10,12,16)ったのでした。
このようにヨブは失ったもの、すべてが戻り、倍になって返ってきて、苦労が報われたのでした。


一切を回復してくださる神様


私たちは生涯の中で大切にしていた人や物を失ったり、あるいは健康や時間、仕事、役割、また大事にしていた宝物、贈り物をなくしたりして、その度に悲しんだり、苦しい思いをする時があります。しかし、ドイツの福音派牧師D・ボンフェッファーという神学者は「何も失われることはない、キリストが一切を回復し給う。それは、初めに神が考え給うたそのままに、僕たちの罪によってゆがめられないで、なされるのである」と言っています。
イエス様は私たちが失ったものをすべて回復されることを覚えて、希望をもって生きていきたいと思います。

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